松任谷正隆と小原礼が語る、前人未到のバンドSKYEの最新アルバム『Collage』後編
想像上の日常でウッドストックのことを話している曲
ウッドストック / SKYE 田家:詞曲を書いたのは小原さんです。これは「ウッドストック」を書こうと思って? 小原:書こうというか、すごく好きで、映画も何回も観たことあるし、10代後半のときにものすごく羨ましいなというか。でかいステージで50万人くらいの前で演奏とかして羨ましいなと思ったし、好きなバンドがいっぱい出てたし。ずっとそれを今まで心の中に持って生きてきて、ウッドストックのことなんて書いたこと今まで1回もないんで。この機会だしって思って、想像上の日常でウッドストックのことを話しているという、本当にただストレートにそういう曲です。 田家:松任谷さんはウッドストックにはどんな記憶がおありですか? 松任谷:僕は話でしか知らないんですよね。ちょっと映像で見たことありますけど、想像がつかない。でも、日本でもウッドストックの真似をしようとしたイベンターがいっぱいいて、それで僕ひどいめに遭ったことが何回かありますけれど。 田家:はははははは! 小原:暗い過去がいっぱいあるな(笑)。 田家:70年代暗い過去がありますもんね。 松任谷:でもこの曲はね、僕本当に小原そのものだと実は思っていて、飾りがなんにもない感じ。で、小原っぽい、マインドまで見えてくるみたいな。 田家:SKYEがそもそも結成されたのが1968年でしょう? 松任谷:オリジナルね。 田家:はい、オリジナル。ウッドストックの前でしょう? そのときの自分たちがやろうとしていたロックというのはどんなものだったんですか? 小原:そのときは単に好きな曲のカバーをやっていただけで。ヤードバーズとかジミヘンとか。それで僕がたまに歌っていたり、たくさん活動していたわけではないので。たまに集まってという。そのうち茂ははっぴいえんどに行っちゃって、林は細野さんとなんかやり始めて、僕は幸宏とGAROのバックやったり、で、ミカ・バンドに流れていくというちょっと微妙な時期ですよね。 田家:ウッドストックの話をみんなでした記憶はおありですか? 小原:その当時は映画観たみたいな、そういうことは言っていたぐらいですね。 田家:映画はやったの1年遅れでしたもんね。 小原:そうですね。70年かなんかですよね。 田家:ええ。ですから、あまり情報としてなんかあったらしいよっていう感じでしたもんね。 小原:50万人ぐらい入っているすごい大規模なコンサート、野外コンサートをやっていたというので。出ていた人たちはスライとか好きなバンドが出ていたので、興味深かったです。 田家:バンド名は林さんが好きだったジャズのレーベルだったという。 小原:そうそう、そうです。レコード・レーベルがSKYEって名前だったんです。 田家:かなりマニアックなジャズのレーベルですよね。 小原:ええ。それでSKYにEが後ろについていて、かっこいいねって昔そういう話をしていて。林が名前これにしようよってことにして、それからSKYEになったんですよね。 田家:林さんはSKYEというグループ名について、好きなことだけやってもいいでしょという。 小原:はははは! 田家:オフィシャル・インタヴューでそういうふうにお話をされていましたね(笑)。 小原:まあ、それでもいいんじゃないですかね。 BLUE~ネガフィルム / SKYE 田家:作詞作曲が松任谷さん。 小原:俺ね、1番好きなんです。 松任谷:ほんと(笑)。それはまあ作ったときに言ってもらえたんだけれども。僕は自分では実験的だったんですよ。脳内を浮遊して、夢と現実の間にいるみたいなものを作りたかったので、転調なんかもできるだけ制約なくいったらどうなるんだろうって感じで作った。 田家:イメージがどこまでも広がっていくみたいな感じのスケール感の曲ですもんね。 松任谷:そうですね。これ僕も小原も同じProToolsのシステムを持っていて、僕が入れたものを小原のところに行くと、小原が自分のところで入れてきて、それがキャッチボールされてくるんですよ。これはそんな記憶がすごくあって。 小原:ライブでこの曲やりたいねって言って、この間ちょっと練習したんだけど難しくて次回に回そうという。 田家:それはどういうキャッチボールなんですか? 小原:歌が多いですね。 松任谷:多いかね。とか、ダビングしたものも、こっちでダビングをするとみんなのところへ行くので。例えばそれを聴いて、ここをこうするとかああするとか、いろいろありますけど。 田家:例えば、歌い方のあそこはこういうふうに歌った方がいいんじゃないかとか。 小原:そういうディレクションみたいなものはしないです。 松任谷:この場合は小原がいきなりサビを歌ってきたので(笑)。そうか~サビは小原が歌うんだって、それはそうしようって。 田家:それは俺が歌っちゃおうって感じになった? 小原:というか歌ってみたんですよ。歌ってみて、マンタがそれでいいなって思ったらそれでいいし。それでいや、ここは僕が歌うって言ったら、じゃあ俺はハモに回る。どっちかにしようと思っていた。 松任谷:基本は作者がイニシアティブをとるという、なんとなく暗黙のあれはあるんだけれども、でも基本的に誰かが前向きなことをやったら、そのままにするというのがわりとこのバンドのルール。 小原:前向きな主張は受け入れようというのが。 田家:バンドのメンバーのある種のエゴみたいなものはないですもんね。 小原:あまりないよね。 松任谷:うん。 松任谷:みんな受け入れるっていうところはあります。 田家:松任谷さんはプロデューサーとして書き直しとか録り直しとか歌い直しとかっていうのは、お願いするというか、注文する側だったわけでしょう。 松任谷:そうですね。ここではお願いしません。一切。どうしても気になったら、こっそり直しておく(笑)。 小原:ははははは! 言わずにね(笑)。 松任谷:言わずに。 田家:奥ゆかしいと言いますか。 松任谷:わかるまいみたいな。 田家:でもそれわかっちゃうものですか? 松任谷:いやわからないでしょう? 小原:まあ、大体わかってるけど、ああこうしたんだなっていうのが。 田家:でもわからなくてもいいんだってことですもんね。 松任谷:まあね。それで音のキャッチボールはできている感じはしますよね。 田家:で、自分が納得できればいいやみたいな。 松任谷:そうそう、最終的に。 田家:この曲はブルーだったので、次の曲はブラックです。