ネアンデルタール人と現生人類はなぜ同じ地域で同時期に埋葬を始めたのか、驚きの新説
誰が埋葬を始めたのか
今回のデータで最古である約12万年前の埋葬跡は、両種のどちらにせよ埋葬跡の可能性があるものとしては最も古い。アフリカやヨーロッパの埋葬跡はこれよりもはるかに新しいため、ビーン氏とバルジライ氏は、これが埋葬の伝統の始まりで、後にレバントからアフリカやヨーロッパに広がったものだと考えている。 アフリカで知られている最古のホモ・サピエンスの埋葬は、ケニアのパンガ・ヤ・サイディ洞窟で発見された7万8000年前の子どもの骨だ。また、ヨーロッパで発見された埋葬跡のほとんどは、6万年前のものかそれよりも新しい。 死者を儀式的に埋葬する習慣は、ホモ・サピエンスがアフリカを出て北に移動し、初めてアジアとヨーロッパでネアンデルタール人と接触しだした後に始まったと、研究者たちは主張する。 また、ネアンデルタール人が5万年ほど前にレバントで姿を消すと、ホモ・サピエンスの埋葬も消滅したという。まるで、競争相手がいなくなったとたんに境界を定めたり縄張りを主張したりする必要性がなくなったかのようだ。 しかし、アフリカの古代人類に関する知識のほとんどはごくわずかな埋葬跡から得られたものにすぎないと、英ケンブリッジ大学の考古学者グレアム・バーカー氏は言う。まだ発見されていない埋葬場所はたくさんあるかもしれないのだ。 例えば、さらに古い人類であるホモ・ナレディが南アフリカの洞窟を埋葬場所として使っていた可能性があることを示した論文が、2023年6月に査読前の論文を投稿するサーバー「bioRxiv」に公開された。その年代は、ほとんどのホモ・サピエンスとネアンデルタール人の埋葬跡よりも10万年も古かった。ただし、これはこれで議論の対象になっている。 ビーン氏とバルジライ氏の新たな研究に関してバーカー氏は、「大陸の地図上にある2つか3つの点から何かの傾向をつかもうとすることには注意しなければなりません」と話す。そして、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が同時に生きていた場所はそれほど多くないと付け加えた。バーカー氏は今回の研究には参加していないが、シャニダール洞窟の発掘に携わった。 知識は少しずつ進化するものと考えがちだが、長い時間枠のなかでは、こうした習慣が必ずしも継続して実践されてきたとは限らないと、バーカー氏は指摘する。「知識は、獲得しては失われ、獲得しては失われを繰り返してきたように思えます」
文=Joshua Rapp Learn/訳=荒井ハンナ