なぜ私たちは「最適解」を求めてしまうのか…いつの間にか現代人が陥ってしまう「意外な罠」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 〈心労には「気にするから気になる」という側面がある。ゴールではなく細かいプロセスに目が向いてしまっているのである。 そこで、目的だけに集中して、他に気になることがあっても初手は「気のせいか」で済ます。相手が怒っているのか、助けが必要なのかなど、気になることは本人に直接きいた後に心配するよう心がけるといった手があるだろう。 プロセスに気をとられると目的への満足解ではなく最適解を求めすぎてしまい、それがまた心労を生み出す。 しかも日常生活で我々は最適解など求めていないし、そもそも最適解を求めるとかえって馬鹿なことになる。最適解など現実には存在しないと割り切る方が合理的だ。〉(『世界は経営でできている』より) 〈何か気になることがあっても、周囲が最適な行動をとっていないように思えたとしても「そもそものゴールに到達できるのならば別にいい」と吹っ切ってしまうのである。そして、「ゴールに到達できない可能性がある場合だけ、自分から何かアクションを起こせばいい」とあらかじめ決めておけば、意識すべき対象が絞られ、気も楽になり成果も出やすくなるだろう。〉(『世界は経営でできている』より) 『世界は経営でできている』では、ランチにおける最適解を例に挙げている。 〈まずは予算制約を考える。今、財布には五千円入っているとする。しかしこの五千円をそのまま予算制約にはできない。この五千円であと一週間ランチを食べる必要があるからだ。いや土日は自炊するためランチ代が必要ない。となると千円が予算制約か。しかし今日のうちに五千円全額を使って、あとは絶食した方が満足できるようなランチもありうる。いや、待てよ、クレジットカードを使えば……と、予算制約ひとつ決まらない。 仮に予算制約が決まったとしても、次に世界中に存在するすべての飲食店をピックアップする必要がある。とはいえ店に移動するための交通費や労力を考えると、ほとんどの店は考慮対象外だ。ふう、店を絞れそうだ。いや違う。もし巨額の交通費と途方もない労力を払って余りあるほどの満足度(効用)を得られる店があった場合、そこでランチを取るのが正解になる。……いや、それでは予算制約を決めた意味がない。 さらに満足度にも、料理の美味しさや店内の雰囲気などその日その場で得られるものと、経験価値や健康リスクなど将来にわたって正負それぞれに働くものがある。 このように厳密に/ストイックに食事の最適解を探していたら、我々はランチを食べることはできない。飢え死にするまで計算を続ける生ける屍になってしまう。〉(『世界は経営でできている』より) なぜか多くの人は、こうした「最適解の罠」にいつの間にか陥っている。 「生活や仕事における最終的なゴール=目的を常に意識する」ように心がけたい。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
現代新書編集部