ポステコグルーの進化に不可欠だった、日本サッカーが果たした役割。「望んでいたのは、一番であること」
「アンジェが私たちに望んでいたのは、一番であること」
もう一つ、ポステコグルーのぶれのなさを物語るエピソードがあった。 「アンジェはいつも揺らぎません。試合に勝ったときでもです。たとえば鹿島アントラーズとのホーム戦。3対0で勝ったのですが、アンジェはうちのプレーがよくなかったと考え、ロッカールームで選手たちを叱りつけました。きっと、これまで様々なチームで何度もあったことですよね? 自分たちだけじゃないとわかってよかった。アンジェを支えようとする者として、あの光景を見られて本当によかったです。彼が常に自分の言葉に誠実であることを、改めて確認できました。あれは3対0で勝った試合でしたから。勝ちはしても、すべきプレーをしなかった。継続的に成功するには、自分たちのプレーをし続ける必要があるということが、彼にはわかっていたんです。 アンジェが私たちに望んでいたのは、一番であることです。自分のポジションや役割において、クラブやチームの一番になるよう努力しなければなりません。日々向上するため努力しなければなりません。メディカルスタッフでも、通訳でも、コーチでも、今の自分の仕事に満足し、翌日や翌週の向上を目指さなくなったら、その先は長くないでしょう。単純に、そこは絶対条件であり、そこに議論の余地はないと考えます。そうして前に進む気持ちがなければ、アンジェの下では働けません」
きまってかける言葉「ここまで支えてくれた人の顔を思い出せ」
ポステコグルーは自分自身にも同じルールを課した。自分の努力について、これで十分だと思うことを拒絶したのだ。彼は日本にいる間、自分自身に手加減することを考えもしなかった。言葉の壁を言い訳にして、誤解される余地のなかったメルボルン時代ほど選手を掌握できないのは仕方ない、と簡単に割り切ることはありえなかった。 突き詰めれば、マネジメントの大部分は何を言うか、あるいは何を言わないでおくかの心理戦だ。プロ指導者のスタートラインに立とうという者なら誰でも、チームビルディングや人間関係の重要性に関する専門家の解説や、「自分が考えただけでは選手が学んだことにはならない――誰もが自分の経験というレンズを通して世界を見ている」といったタイトルの講義を聞くことになる。 つまり、大事なのはメッセージであり、メッセージを届けるための言葉一つひとつだ。ポステコグルーは、そのすべてを第三者のフィルターを通して伝えなければならなかった。そんな状況では、彼の有名な言語表現力が少しばかり弱まることは、避けられなかったのではないだろうか。 しかし、今矢は“ロスト・イン・トランスレーション”はなかったと断言し、次のように強調した。 「アンジェのスピーチには、心を動かすものがありました。ものすごく感動的で、聞く者を鼓舞する力がありました。たしかに、監督のなかには同じようなスピーチを繰り返す人もいますし、メッセージを浸透させるために反復が必要な場合もあります。そこにはテーマがある。しかし、アンジェは聞く者を飽きさせず、サッカーをすることの素晴らしさを巧みに強調していました。 アンジェはよく、子どもの頃を思い出すよう選手に言っていました。5歳でボールを蹴り始めたときのことです。『兄ちゃんや弟にあっさりボールを渡したか? それとも取られないようにしたか? 公園でサッカーをしていたとき、ボールは自分の足元にあっただろう。それを取られまいとしたはずだ。私たちはボールをキープしなければならない。相手がボールを持っているのなら、奪いにいかなければならない。子どもの頃に戻るんだ』。そういうスピーチが、選手の感情を引き出したんです。いつも何かしら物語を用意していました。 自分一人の力でサッカー選手になる者はいないとも、よく言っていました。指導者や親など、必ず誰かの助けがあった。だから、F・マリノスでデビューを迎える選手がいるときは決まって、『ここまで支えてくれた人の顔を思い出せ。今日はその人たちのためにプレーしろ』と言うんです。気持ちのたかぶる言葉でした」