「上海ハニー」から17年、ORANGE RANGEがテレビからライブにシフトした理由
『上海ハニー』や『花』といったヒットソングで、誰もがその名を知るところとなった沖縄の5人組バンド、ORANGE RANGE(オレンジレンジ)。以前のようにテレビや映画、CMなどで見聞きすることは少なくなったが、現在もライブ中心に精力的に活動を続ける。ORANGE RANGEは、なぜマスメディアと距離を置いたのか。「喜んでもらえるものこそ正義」の真意を聞いた。(取材・文:鈴木絵美里/撮影:長野竜成/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「喜んでもらえるものこそが正義」二十歳そこそこの5人が手に入れた成功
2003年、ORANGE RANGEは電光石火の勢いで世に飛び出した。デビュー当時は全員二十歳そこそこ、RYOにいたっては高校生だった。デビュー翌月にリリースした『上海ハニー』はノンタイアップながら20万枚以上も売り上げ、名実ともに代名詞となる楽曲を手に入れた。YAMATOは「でも実は、『上海ハニー』にフィットしていないメンバーもいたんですよね(笑)5人みんな好きな音楽ジャンルもタイプもバラバラ。デビュー当初はかなりバチバチと意見を交わすこともありました。最初はもう『バラードなんて絶対やらない!』って言っていたくらいで」と明かす。 そんな彼らにとって初のポップなサマー・ソング『上海ハニー』のヒットで考え方が一変した。
「僕はミクスチャーのような音楽が理想だったんです。インディーズからメジャーデビューまでトントン拍子で話が進んでいて、『キリキリマイ』もその勢いのまま自信を持ってやったんですけど、いざ出してみたらもう全然“ランキング外”で、正直、気持ちが一度かなり落ちました。でも、爆発的に楽曲が広まったことで、決定的に意識が変わりましたね。『なんでもやってみるべきだな。喜んでもらえるものこそが正義だな』と思ったんです」(HIROKI)
方向性の違いが生まれていたバラードについては話し合いを重ね、新たな表現の形を模索し続けた。 その甲斐あって、2004年に出した5枚目のシングルで取り組んだバラード曲『ミチシルベ ~a road home~』では初のオリコン首位を獲得、さらに8thシングル『花』は約100万枚を売り上げ、オリコンシングルチャートに52週登場するロングヒットを記録し、一躍脚光を浴びた。紅白歌合戦にも出場、デビューからわずか1年で日本の音楽シーンのトップを走るようになっていた。