ロシアが支える? 金王朝の「不死」
エジプトのピラミッド。中国・秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)。日本の古墳群――。王の絶大な権力を、その死後も後世に示している遺跡は、数多い。 【写真】朝鮮中央通信が配信した北朝鮮の金日成総書記の遺体の写真 ソ連は100年前、人類史に例のない不思議な方法を編み出した。それはソ連やその後継国・ロシアと歴史的に関係の深い北朝鮮でも、30年にわたり続く。近年、蜜月関係を築く露朝の「死後」の協力とは――。 12月17日、北朝鮮の首都・平壌の錦繡山(クムスサン)太陽宮殿。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記は党幹部らを引き連れてここを訪れた。「偉大な指導者である金正日(キム・ジョンイル)同志が生前の姿でいらっしゃる永生ホールを訪れた金正恩同志は、将軍様の永生を祈りつつ、謹んであいさつをした」。国営の朝鮮中央通信は18日、そう伝えた。 宮殿では、正恩氏の父・正日と祖父の金日成(キム・イルソン)の遺体が「生前の姿」でガラスケースの中に安置されている。遺体は特殊な溶液などによって防腐処置が施されている。17日は正日が死去して13年の節目だった。2人の命日や誕生日などに合わせ、正恩氏や党幹部らが宮殿を訪問するのが慣例だ。許可を受けた国民や一部の外国人にも公開されている。 ◇社会主義国に広がった遺体保存 「社会主義国では権威づけのため指導者の遺体を永久保存する伝統が広がった。最初は1924年に死去したソ連のレーニンだ」。ロシア出身の北朝鮮研究者、アンドレイ・ランコフ国民大学(韓国)教授が解説する。ランコフ氏は80年代、平壌に1年留学した経験がある。「指導者の遺体保存は後にブルガリア、中国、ベトナム、モンゴルなど社会主義国が模倣した。多くがソ連の技術支援を受けた」 社会主義国の政治家らは、体制維持の装置の一つとして、カリスマ性のある独裁者たちの遺体という「権威」を利用した。技術者をモスクワから迎え、遺体に防腐処置を施してもらった。ただ、中国は毛沢東の遺体保存に独自技術を使ったとされている。 なお「永久保存の独裁者」に台湾総統を務めた蔣介石とその長男の蔣経国を加える見方もある。蔣介石の故郷・中国大陸に埋葬するため、2人の遺体が台湾北部の施設で保管されているからだ。私も以前、蔣介石の遺体が納められたひつぎを見学したことがあるが、内部は見られない。 死去後も付き添った蔣介石の元警護官の翁元(おうげん)氏はかつて、台湾メディアに「医師が防腐処置はしたが、数十年にわたりひつぎは閉じたまま。中の状態は誰にも分からない」と明かした。遺体は定期的な防腐処置が必要だ。2人はすでに生前の姿ではないだろう。 91年にソ連が崩壊するのと前後して、社会主義国の多くで民主化が進んだ。遺体は次々と埋葬されたが、レーニン、毛、ベトナムのホー・チ・ミンは埋葬を免れた。 レーニンの死から70年後の94年、この「不死の独裁者」に新たに加わったのが北朝鮮の金日成だ。正日は父の威光を背に受け、社会主義国では異例の世襲で「金王朝」を継いだ。日成の官邸は改築され、95年に遺体を安置する宮殿となった。 ◇北朝鮮が露に100万ドル? 北朝鮮は金日成の遺体保存でロシアに100万ドル(現在のレートで約1億5000万円)を支払ったとされる。ソ連の遺体保存の技術者だったイリヤ・ズバルスキー氏(故人)が共著「レーニンをミイラにした男」(文芸春秋)で、関係者の話としてそう書いた。 北朝鮮では90年代、経済崩壊と自然災害で多くの民衆が餓死したといわれる。韓国に逃れた脱北者からは「遺体を保存する金があれば、国民の命を救うべきだった」といった批判が出た。 定期的な防腐作業にも莫大(ばくだい)なコストと時間がかかる。北朝鮮が2013年に制定した「錦繡山太陽宮殿法」は5~6月を休館と定めており、この間に作業をしているようだ。 では今もロシアが技術支援しているのか。その可能性はある。正日が11年に死去した際、遺体保存を担う技術者がモスクワから平壌に飛んだとの一部報道があった。ただ、新型コロナウイルスの感染が拡大した20年から3年半以上にわたり、北朝鮮が事実上、国境を完全閉鎖したことを考えれば、今では自力で防腐作業をしているのかもしれない。ランコフ氏は「こうした情報は極秘であり、めったに漏れない」と話す。 ◇増え続ける宮殿の遺体 北朝鮮が特異なのは、2代にわたり遺体が保存されたことだ。北朝鮮の各集落には2人の永生を象徴する「永生塔」が建てられている。 正恩氏も亡くなれば、遺体が宮殿で永久保存されるのだろうか。韓国の北朝鮮研究学会で23年まで会長を務めた全永善(チョン・ヨンソン)・建国大学教授はこう指摘する。「正恩氏が『遺体の保存はするな』と言っても党幹部たちが『保存しなければならない』と言うだろう。本人の意思とは関係なく保存される」。体制の維持には、金一族は「永生」でなければならない、というわけだ。 ランコフ氏もこう説く。「現体制が続くならば正恩氏もその後継者も、宮殿で共に保存されるだろう」。これでは現体制が終わらない限り、宮殿内の遺体は代替わりごとに増え続けることになる。 ここで私は、生前の姿で先祖と共に展示される側の気持ちを想像した。果たして、死後まで人々の目に自らの遺体をさらされることを本心から望む人がいるのだろうか。「権威を後世まで示したい」と願う人もいるかもしれないが、私なら、ごめんこうむる。 ズバルスキー氏によると、レーニンの妻は夫の死後、「夫の名で壮大な建造物や記念碑を建てるのはやめてほしい。彼はそのようなことを嫌っていた」と訴えていた。だがソ連共産党は耳を貸さず、レーニンの遺体を永久保存した。 祖父と父の遺体は正恩氏にとって自身の死後の姿だ。宮殿に足を踏み入れる度に、正恩氏の脳裏には複雑な思いがよぎっているのかもしれない。(一部敬称略)【ソウル支局長・福岡静哉】