<吹け赤い旋風>カタリナ 指揮官の素顔/上 名将2人にあこがれ /愛媛
当時中3だった越智良平監督は物陰から宇和島東高(宇和島市)の野球部の練習をのぞき見ていた。近づいてきた男性が一言。「君が越智君か。これから頑張ろうな」。同校を幾度となく甲子園に導いた名将・上甲(じょうこう)正典監督(故人)との初めての出会いだった。口角をクイッと上げ、穏やかで優しい笑顔。「第一印象は『テレビで見たことある人だ』って。オーラがすごく、引き込まれそうでした」。思わずその場で「はい!」と言ってしまった。 「全てにおいて基準を超えてくる。それが上甲監督」。夏場の暑い盛り、グラウンドコートを着させてタイヤを引きつつ、個人ノック。これを約2時間続け、コートを脱がせて更にシートノック1時間――。何度もくじけそうになったが、ふと前を向くと同じようにコートを着て汗だくになってバットを振る師の姿が。「そんな姿を見たら何も言えない。黙ってついて行くしかなかった」 上甲監督が厳しい練習にこだわった理由はただ一つで「夏の大会が終わって、選手の泣く顔を見たくないから」。熱い指導の裏には、指導者としての懐の深さがあった。高校3年間を上甲監督の下で過ごし、甲子園には3回出場。卒業時には「高校野球の監督になりたい」と夢を描くようになっていた。 進学先の早稲田大では野村徹監督を師と仰いだ。近大付属高を春夏連続で甲子園に導いた名将で、キャッチボール一つとっても「練習でのミスは神宮(球場)でのミスだと思え」。一方でチーム内をよく観察し、チャンスを与えてくれる人でもあった。 同級生には1980年度生まれの“松坂世代”の一人で、プロ野球で今も活躍を続ける和田毅投手(ソフトバンク)、一つ下には青木宣親外野手(同ヤクルト)などタレントがそろい、まさに全盛期。特に鳥谷敬内野手(ロッテ)の入部以降は越智監督は早々に控えに回った。そんな中でもまれて4年時には主将に抜てきされ、東京六大学リーグで春秋連覇を果たす。 引退後は学業に専念し、保健体育科の教員免許を取得。夢だった「高校野球の監督」に向けて一歩を踏み出した。 ⚾ 19日開幕の第93回選抜高校野球大会に春夏通して初出場となる聖カタリナ学園。躍動の裏には、名将たちの下で「イズム」を受け継いだ越智良平監督の姿があった。現在40歳。新進の指揮官の半生を振り返る。