誕生日に命を絶った息子へ「母ちゃんは頑張ったよ」 過酷な時間外労働の実態を明らかにした夫婦の信念
過労死や過労自殺のない社会を目指す「過労死等防止対策推進法」が施行されて、11月で10年を迎えた。この間、労働時間規制の強化やパワハラ防止対策の義務化など、法的な枠組みの整備は進んだ。一方で、過労が原因となる精神疾患や脳・心臓疾患の労災の申請は増加傾向にある。中国地方の過労死遺族の声を聞いた。 【グラフで見る】精神疾患による自殺の労災申請件数の推移 過労によるストレスから2009年に自殺したスーパー店員高木教生(のりお)さん=当時(36)=の母、栄子さん(78)=島根県出雲市=は、松江地裁の原告席で耳を疑う言葉を聞いた。「残業は指示していない」「高木君が勝手にやったこと」 使用者の責任を問う弁護士に、スーパーの社長は反論した。栄子さんは14年、労災補償を国に請求したが認められず、17年に決定取り消しを求めて提訴した。社長の出廷は19年暮れ。教生さんが亡くなって10年が過ぎていた。栄子さんは「こんな会社に教生は勤めていたのか」と絶句した。 1996年に山口県の徳山大(現周南公立大)を卒業した教生さんは、「近くで働いてほしい」との両親の意をくみ、出雲市のスーパーに就職した。バイヤーになったのは2001年。業務の負荷は徐々に増し、社長が直属の上司になった08年からは頻繁な叱責(しっせき)や、退勤が未明になる長時間労働が常態化した。 趣味の釣りに行かなくなり、酒量が増えた。変調を感じて心配する両親に「うるさい」と怒鳴った直後、36歳の誕生日に教生さんは命を絶った。「無理にでも仕事を辞めさせればよかった。Uターンを勧めていなかったら…」と今も悔いる。 裁判では証拠不足に悩まされた。職場にタイムカードはなく、業務用パソコンの使用記録は消去されていた。長時間労働の立証には客観的証拠が求められる。警備業者の記録を取り寄せ、職場の施錠時間を調べた。 息子の過酷な勤務実態を話してもらおうと、両親は同僚や退職者を訪ね歩いた。何度も断られ、会社側の妨害にも遭ったというが、2人の元従業員が法廷で教生さんの働きぶりや職場の環境について証言した。 21年5月の一審判決は、月120時間以上の時間外労働と死の因果関係を認めた遺族の全面勝訴だった。国は控訴せず、判決は確定した。「山陰過労死等を考える家族の会」の代表でもある栄子さんは「各地の過労死遺族や支援者が傍聴席を埋めてくれた。元同僚の勇気ある証言もあり、『過労死を許さない』というみんなの決意が裁判官に伝わった」と感謝する。 自宅の仏壇には、スーパーのエプロンを身に着けて笑顔を見せる教生さんの写真がある。隣には、今年3月に81歳で亡くなった夫、猪三男(いさお)さんの遺影も。栄子さんは「諦めずに証言を集め続けることができたのは、夫の支えがあってこそ。天国で教生に『母ちゃんは頑張ったよ』と言ってくれているはず」と手を合わせた。 判決確定から1年半後の22年暮れに支援者とまとめた裁判記録の冊子に猪三男さんは「これからの労働社会が、過労死、過労自死のない社会になることを、切に切に、願っております」とつづった。若者たちが希望を持って働ける社会を―。表紙には、両親の願いが刻まれている。