立憲・泉健太新代表が会見(全文2)「反対」より「推進」が前に出る訴え方も必要
どうやって先輩から吸収したのか
京都新聞:京都新聞の国貞です。泉さんは京都3区の選出ということで、京都の民主党で考えますと、前原さんが43歳で旧民主党の代表になられていると。で、福山さんとか、あと国対委員長もされていた山井さんとか、あと、議員辞められましたけど松井孝治さんとか、そういう方々に囲まれてというか、そういう先輩たちの影響を受けてきたと思うんですけども、そういう意味で、政治家、泉健太をつくったという部分で、どういうふうなそういう先輩方に背中を見て吸収していったりとか盗んでいったりしたんでしょうか。 泉:私は、自分自身の育った環境で言っても、4人きょうだいの末っ子でして、どっちかというと、兄や姉を眺めながらうまく生きてきたっていうところはあるんですけど、京都でもそういった意味ではちょうど一回り上の先輩が多かったわけですけれども、そういった山井さん、前原さん、福山さん、松井さん、そういった皆さんの中で、本当にずいぶん育てていただいたというふうに思います。 それぞれ山井さんのスタイル、前原さんのスタイル、福山さんのスタイル、また違いますので、いろんな政治活動スタイルというものも学ばせていただいたなと思います。もう少し実は細かく言うと、私、大学に入った途端のころに日本新党ブームで、まだ府議会議員だったぐらいの前原さんの事務所に先輩に連れていかれたというのが前原さんとのきっかけで、山井さんは大学時代に、大学に講師としてやってきていた山井さんの授業を聞いて、日本の福祉がこんなにも遅れているということに衝撃を受けて、山井さんの事務所の門をたたいたという過去がありますし。
政権選択になるような政党をつくっていきたい
ただ、山井さんの事務所が宇治でちょっと遠かったので、どこか近くで同じように頑張ってる仲間がおられませんかって聞いたときに、福山哲郎さんを紹介していただいて、私がさまざま、災害ボランティアだとかをやっていたんですけれども、災害ボランティアに向かう学生たちが乗るバスを手配してくれたのが福山哲郎さんで、それからご縁ができて、福山哲郎さんの事務所にお邪魔することになったというか、入ることになった、そんなことですので、やはり当時から、自民党さんがもう大きな政党であることはよく分かっていると。じゃあやはりもう1つ、日本の国に自民党に代わりうる選択肢をつくりたいと。先輩方は今もそういう思いでいると思いますので、私としてはやはりその先輩方の思いも受けて、政権選択ができるような、政権選択になるような政党をつくっていきたいと、それがこの立憲民主党であると、そういうふうに思いながら活動をしています。 司会:じゃあ。