脳オルガノイドは「人」と見なせるか 若手の生命倫理学者と法学者が別々の観点から考察
澤井准教授は「脳オルガノイドが高次の認知機能を持たなくても法的保護の対象になる場合がある」と結論づけた。他方で、「物事の定義を決める法律の世界で、この結論がどう受け止められるのか」ということにも関心があった。
民法は第3条1項で「私権の享有は、出生に始まる」と定める。この文章をそのまま解釈すると、脳オルガノイドは「産まれて」ないから生きていくのに必要な様々な権利がないことになる。だが、母体胎児外科手術といわれる「子宮を切開して胎児に手術をしてから体内に戻す」といった高度な医療では、子宮を開いた時点で体外に出てきているのに、分娩後ではないから出生とは見なされない。高度医療のもとでは、子の権利の扱いに困る。科学技術の進歩に伴い、出生やヒトの定義を再考すべきでは、と澤井准教授は投げかけた。
ルールを変えようというアクションは重要
この投げられたボールを受け止める法学者を探した。数人の候補に取材を断られた末に出会ったのが、東京大学大学院情報学環・学際情報学府の永石尚也准教授(法哲学)だ。永石准教授は科学技術の進歩が「出生」や「人」の定義を変える可能性があることに同意した上で、こう述べた。「確かに脳オルガノイドや胎児が何らかの法的保護に値することは疑いがない。しかしより重要なのは、生物学的なヒト属に限った話ではないが、現行法では、法的保護に値する対象やその程度はバリエーションに富んでいる。そのため、単純に法的な主体としての『人』と見なすことにはつながらない」。
元々、永石准教授は医療事故や医療倫理の研究をしており、科学ともなじみが深い法学者だ。永石准教授はゲノム医療に関する法律や、臓器移植法の立法の際にも、今回の「何がヒトで、生と死の分け目はどこか」「科学的な発見や技術的進展がどこまで人間の尊厳や倫理に関わる領域に踏み込んで良いのか」が議論されてきたと振り返る。今回の脳オルガノイドについても、細胞研究の発展に沿って「今あるルールを、研究者や市民にとってより望ましいものへと変えようというアクションは重要。法制度を含む広い議論を巻き起こす必要は間違いなくあるだろう」とした。