町田DF昌子源は3位に「堂々と、誇っていい結果」黒田剛監督を信じ、批判とも戦った主将の1年間
◆明治安田J1リーグ▽第38節 鹿島3―1町田(8日・カシマ) 古巣のスタジアムで、夢は散った。鹿島に敗れ、J1昇格初年度は3位に終わった町田の元日本代表DF昌子源は「胸を張って、堂々と誇っていい結果だと思う。町田のサポーターの皆さんに、堂々と報告したいと思います」と前を向いた。優勝の可能性も残していた最終節は3失点で完敗。昌子自身も昨季までのチームメート鹿島FW鈴木優磨にかわされ、3失点目に絡んだ。当然、悔しさが残る。それでも、J1初挑戦の“新参者”が、5位鹿島より上の順位でシーズンを終えた偉業の価値が下がるわけではない。 自らの存在価値を証明するための移籍だった。18年ロシアW杯では日本代表の主力DFをつとめた日本屈指のセンターバックが、その後はフランス移籍中に負った負傷の影響もあり低迷。G大阪を経て昨季は鹿島に復帰したが、本来のパフォーマンスを発揮できず。出場機会を求めて鹿島を離れ、今季町田へ。「もちろん、個人的にはもう一年鹿島で、という思いもあった中で、町田からお話をいただき、もう一度、自分で自分の価値を高めようと」。日本一の伝統を誇るクラブからJ1初挑戦のクラブへ。大きな決断だった。 そんな町田で出会った指揮官は、高校サッカーで名将と呼ばれてきた黒田剛監督。昌子自身、23年には1年でチームをJ1初昇格に導いた手腕に興味を抱いていた一方「プロと高校生は違う。そんなに(J1は)甘くない」という思いもあった。しかし、黒田監督からは「お前を中心としたチームを作っていきたい」と信頼を受け、チームメートからの投票でキャプテンに就任。先頭でチームを引っ張る覚悟は固まった。 「(J1での)歴史が浅いこのクラブを、引っ張り上げる存在になろう。苦しい時にしがみつかれても、下がっていかない、引っ張り上げることが僕の仕事」 そのため指揮官の求める「失点しないサッカー」を、身をもって体現した。「マークは1・5メートル以内」「ブロックは正面に立ち、体をそらさない」。W杯も経験した男に対しては、基本的とも言える約束事。それを自らが先頭に立って徹底することで、黒田監督が大切とする「原理原則」を浸透させていった。 開幕こそ負傷で出遅れたが復帰後は調子を上げ、チームも快進撃で首位に立った。その一方、ファウルとなることもある激しいタックルやロングスロー、さらにFW藤尾がPKの際にボールに水をかけるルーティーンなど、勝利のために相手の嫌がることを徹底する町田のスタイルは批判も浴びた。6月の天皇杯・筑波大戦では、町田に2人の骨折者が出たことに端を発し、元高校教師の黒田監督が大学生を批判したことで、SNSでは炎上騒動に。選手たちにも非難は及んだ。SNSを通じ、ナイフと血の絵文字など殺害予告ととれるようなメッセージが届いた選手もいた。 この頃には他チームのサポーターが、町田が敗れれば喜ぶ、というに過去にない感覚も味わった。嫌われていることは自覚していたが「ヒールになろうと思ったことはない」。チーム内では明らかに危険なプレーや不用意なファウルに対し「それは(チームにとって)メリットがあるんか?」と仲間をとがめることもあった。ただ批判されたからといって、自分たちが貫くスタイルがぶれることはなかった。優勝という目標に向かい「美談みたいになるかわからないですけど、結果優勝したら、こいつらってやっぱりすごかったよな、ってなるのか気になる、みたいな話は(選手間で)していました」 優勝に向け、キャプテンとして甘さを見せたチームメートを叱責(しっせき)したことも数知れない。外国籍の出場選手枠の関係もあり、出番が減っていたMFバスケス・バイロンには「外国人枠のせいで出られてないと思ってるやろ。そうじゃないぞ」と厳しい言葉で奮起を促した。今季、日本代表にも選出された大卒1年目のルーキーDF望月ヘンリー海輝が、ピッチ上で痛がるそぶりを見せれば「ピッチに立つなら弱みを見せるな!」と言い聞かせた。そんな昌子に、黒田監督は「今の時代、(チームメートと)わだかまっても先頭に立ち、言いたいことを言える人材はなかなかいない」と全幅の信頼を寄せた。 最終節がカシマスタジアムでの鹿島戦だと知ったシーズン開幕前。昌子には2つのイメージが頭に浮かんだ。1つは「(J1)残留をかけて戦うのは嫌やな…」。そしてもう1つは「カシマスタジアムでもし仮に(優勝)シャーレを掲げたら…」。どちらも現実にはならなかった。しかし優勝という目標に向け、全力で走り、戦い抜いた1年間。町田の歴史に刻まれるシーズンを終えたキャプテンの表情は、晴れやかだった。(金川 誉)
報知新聞社