プレミアリーグのニューカッスルが来日 サッカーに熱狂するイングランド北部クラブの長い歴史と背景
【イングランド北部でなぜサッカーが盛んなのか】 ところで、イングランドではなぜ北部でサッカーが盛んなのだろうか? 中世以来、フットボールという遊びは英国全土で盛んだったが、ルールは都市や学校によってまちまちだった。そこで、1863年にロンドンの13のクラブが協会(ザ・フットボール・アソシエーション=FA)を結成して共通ルールを作った。それが、アソシエーション・フットボールであり、アソシエーション(Association)の「soc」の部分から「Soccer=サッカー」という言葉が生まれた。 19世紀のイングランドは産業革命=工業化の真っ盛りで、多くの労働者が工場で働くようになっていた。フットボールは、その労働者の間でも盛んになっていった。工業の中心地はイングランド北部だった。鉄鉱石や石炭を産出したからだ。鉄鉱石と石炭から鋼鉄を製造。その鋼鉄を使って工作機械や鉄道、鋼鉄製の船舶を作ることで工業化が進んだのだ。 こうして、北部工業都市の工場労働者の間にフットボールは普及していった。 ロンドンで協会を結成したのは裕福な資産家階級などの人たちで、彼らは余暇を利用して純粋に趣味としてフットボールを楽しんでいた。 だが、労働者階級出身の選手は練習や試合で工場を休むと収入が途絶えてしまう。当時の労働者はけっして裕福ではなかった。そこで、クラブが選手に報酬を支払うようになったのがプロフェッショナル・フットボーラーの始まりだ。 ここまでは、サッカーもラグビーも同様の発展を見せた。だが、ロンドンにあったラグビー協会はプロ選手の加入を拒否。一方、サッカー協会(FA)はプロ選手も受け入れたので、次第にサッカー人口が増えていったのだ。 サッカーが盛んになったマンチェスターは繊維産業を中心とする工業都市であり、リバプールはマンチェスターで作られた製品を輸出する港湾都市。また、シェフィールドは製鉄の街として栄えていた。そして、ニューカッスルやサンダーランドは石炭を搬出する港町で、造船業も盛んだった。