42の日本の凶悪事件を「生んだ家」を丁寧に取材...和歌山カレー事件に関しても注目の記述が
林眞須美死刑囚が生まれ育ったのは、漁師町の網元の家。日本の「一億総中流」意識とは相容れない価値観の中で生きてきた
まず白状しておかなければならないことがある。『殺め家』(八木澤高明・著、高木瑞穂・編、鉄人社)の表紙を目にした時点で、若干の疑念を抱いてしまったことだ。 【動画】韓国に進出した日本のセクシー俳優たち なにしろ帯には、「凶悪犯はどこで生まれ育ったのか? かつてここに怪物が棲んでいた。欲望と鬱積と狂気の42現場」と、なにやら刺激的な文言が並んでいる。そのため、読む前の段階で「もしや、事件やその現場のことを、必要以上に誇張しているのではないだろうか?」と勘ぐってしまったのだ。 著書『抗う練習』に書いたことがあるが、私はこの『殺め家』でも紹介されている「和歌山カレー事件」(本書での表記は「和歌山毒物カレー事件」)の被告人として起訴された林眞須美死刑囚の長男と交流を持っている。この事件については冤罪の可能性が指摘されているが、彼が誹謗中傷と戦っている姿を目にしていることもあり、つい敏感になってしまうのかもしれない。 だが実際に目を通してみた結果、それが考えすぎであることはすぐにわかった。読み進めてみたら、写真週刊誌カメラマンから転身したノンフィクション作家である著者の、事件取材に対するスタンスをはっきり確認できたからである。 ~~~ 取材する理由は、ただ単に自分自身が取り上げる犯罪者に興味が有るか無いかということに尽きる。(96ページより) ~~~ 当然ながらこれは、興味本位で騒ぎ立てようという意味ではない。むしろ逆だ。興味があるからこそ、ひとつひとつの事件を丁寧に調べ、実際に現場を歩き、人の話を聞くことによって、それらの背後にあるものを浮き立たせようとしているのだ。 その一例として、私のような立場にある人間は、やはり和歌山カレー事件についての記述を取り上げるべきだと思う。そこで、ここからはこの事件を中心に置いて話を進めさせていただく。
閑静な新興住宅街で目立った、豪快すぎる林家の生活
特筆すべきは、本件を取り上げるにあたり、眞須美死刑囚が生まれ育った集落にまで著者が足を運んでいる点である。また、彼女は紀伊半島の南端に位置する集落の網元(漁船や漁網を所有する漁業従事者)の娘なのだが、そのことに関連し、夫の健治さんの発言が引き合いに出されてもいる。 それは眞須美死刑囚の実家の、豪快すぎる金の使い方に驚いた過去について語られた部分だ。結婚して3000万円のローンを組んで家を建てた際、義父が2000万円、義母が1000万円を「ポンとくれよった」そうなのだが、実はここに事件を理解する重要なポイントがあるのだ。 ~~~ 「(前略)もう船は一回沖でたら、一千万円、二千万円の売り上げですからね。網獲り専門やったから、当時バブルが崩壊する前やから、一匹獲ったら三万か四万で料亭がなんぼでも買い取るんですよ。そりゃもうすごい金でしたよ」 豪快な漁師たちの生活ぶりが伝わってくるエピソードだ。稼いだ金は、そのまま使い切る、漁師気質はやはり命がけの現場に生きることから生まれてくるのだろう。そもそも漁船の安全が確保されたのも戦後しばらく経ってからのことだ。櫓を使った人力の時代から漁師たちは自分の経験とカンだけを頼りに危険な海と向かいあってきた。漁師の生き様は当然、定期収入を得られるサラリーマンとは違ったものになる。(138ページより) ~~~ つまり眞須美死刑囚も、命を賭けて仕事に臨む父親の豪快な生き様を日常的に見ながら育ったということである。 ~~~ 高度経済成長期以降日本人の中に埋め込まれている一億総中流の意識とは相容れない価値観の中で生きてきたのだ。(138ページより) ~~~ そうした環境にいたのだから、カレー事件の現場となった園部地区の住民との間に軋轢が生じたとしても無理はない。のどかで閑静な住宅地と、眞須美死刑囚の生まれ育った集落とは別世界。そもそも気質も価値観も大きく異なるのだ。 そのため、保険金詐欺で生活の糧を得て、外車を乗り回し、昼間から麻雀大会をしたりしていた林家は、閑静な新興住宅地内では必然的に目立ってしまっていた。 どちらが正しくてどちらが間違っているという話ではなく、環境の違いとはそういうものだ。