42の日本の凶悪事件を「生んだ家」を丁寧に取材...和歌山カレー事件に関しても注目の記述が
「陰でこそこそヒ素盛って...。それはないやろうと思った」
また、上記のエピソードに顕著な金銭感覚も、注目に値する点だといえよう。眞須美死刑囚がカレー事件について一貫して否認し続けていることについて健治さんはしばしば「眞須美は金にならんことはやらん」との発言をしているが、その価値観は父親の金銭感覚を受け継いだものなのだ。 ~~~ 「まさか人にごたごた言われて、陰でこそこそヒ素盛って、そんなこそくなとこやないですよ。もうその場で喧嘩ですよ。生まれ育ったところでは、だからその最初の動機が解せなかったんやね。近所のもんに言われて激昂して、そんでこそこそ意趣返して、それはないやろうと思ったんですよ。だから裁判官もその動機は否定しましたけどね。事件の前から、近所で犬が殺されたりとか、たんぼに毒流されて一年間米が穫れなんかったり、そういうことがあったんですよ。ワシらが引っ越して来る前に、そういうヤツが園部にうろうろしているのに、保険金詐欺が出てきたんでこっちが犯人にされたんですよ。死刑が確定して再審にかけるって言うたって、その再審でも三〇年、四〇年っていう月日がかかってですね。やっと無罪を勝ち取ったっていうたって、僕はもうこの世におるやらおらんやら分からんやろうし、もう一言で言うたら、『おそらく嫁はんはもう二度と帰ってこんのやなぁ』って言う。そう思うたね」(139ページより) ~~~ 引用が少し長くなってしまったが、まさにそのとおりだと私も思う。著者がここで明かしている事実――眞須美死刑囚の網元の娘としての出自――は、常識を逸脱した金銭感覚や、マスコミでしばしば取り上げられた気性の荒さを裏づけるからだ。 だいいち先述のとおり、眞須美死刑囚を犯人であると断言するための決定的な証拠はどこにも存在していない。報道では派手さを筆頭とする特異性ばかりが過度にクローズアップされたが、それは犯人であることの証拠にはならない。つまり、眞須美死刑囚は、疑惑を積み重ねられた末に事件の犯人へと祭り上げられたということである。 そしてその現実は、夫である健治さん、そして誹謗中傷を受けながらも母親の無罪を訴え続ける長男を筆頭とする子どもたちの人生をも破壊した。だからこそ、この事件に関する本書の項目を締めくくる、以下の記述もつらく感じるのだ。 ~~~ 死刑確定後、面会に行った健治さんによれば、眞須美死刑囚は、大粒の涙を流して悔しさを露にしたと言う。 「すぐ帰ってくるから」 逮捕の日の朝、そう言って今は公園となっている豪邸を出た眞須美死刑囚。豪快な海原とは正反対の薄暗い独房の中で囚われの身となり、今も冤罪を訴え続けている。(139ページより) ~~~ さて、ここでは一例として和歌山カレー事件を取り上げたが、本書はこのようにさまざまな事件の輪郭を見事に浮き立たせている。そのため読者は、各事件について「そこで、何があったのか」をしっかりと把握できることだろう。 印南敦史(作家、書評家)