コラム:亜州・中国(23) 経済発展続けるフィリピンの最新事情
日比関係は不幸な過去から和解へ
筆者が初めてフィリピンに入国したのは1989(平成元)年1月。日本人記者団の一員として13日間、首都マニラやルソン島北部の避暑地バギオ、中部セブ島、南部ミンダナオ島などを歴訪した。記者団は最後にマニラのマラカニアン宮殿(大統領府)でコラソン・アキノ大統領に会見した。 同年3月から92年5月まで3年余り、マニラ支局長として駐在した。当時ショックを受けたのはビジネス地区マカティにあるアヤラ博物館(Ayala Museum)を見学したときのことだ。フィリピンの歴史的出来事を立体人形や背景画、模型などで時系列的に再現する「ジオラマ」という展示がある。旧日本軍のマニラ占領(1942年)の場面では、日本人兵士たちの人形の顔がいかにも醜かった。ここまで対日感情が悪かったのかと思い知らされた。 同博物館がガラス張りの近代的な6階建てビルに移転、大改装したと聞いて今回、その新館を訪れた。ヘルメットをかぶった日本兵たちの人形の表情は、30数年前より少し“改善”されたように見えた。 日比関係は現在、基本的に極めて良好である。両国政府は不幸な過去から和解への努力を進めてきた。比政界、経済界の多くは「親日」的だ。それでも先の大戦で日米が国内で熾烈(しれつ)な戦闘を繰り広げ、巻き込まれた100万人以上のフィリピン人が犠牲になった歴史を忘れてはならないだろう。
中国と南シナ海で対峙、経済で連携
フェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領は7月22日、就任後3度目となる施政方針演説に臨んだ。国語のフィリピノ語と公用語でもある英語を交えて演説し、中国と領有権を争う南シナ海問題にも触れた。 フィリピンでは南シナ海を「西フィリピン海」と呼ぶ。同大統領は「西フィリピン海は想像の産物ではない。われわれのものだ」と強調、「フィリピンは屈しないし、揺るがない」との決意を示した。その一方で、法の支配に基づく国際秩序のルール、外交チャンネルを通じた平和的解決を目指す姿勢もにじませた。 前任のロドリゴ・ドゥテルテ大統領(2016-22年)は「祖父は中国人」と公言し、対中融和路線を歩んだ。マルコス大統領は米国との同盟関係を重視する方向に大きく軌道修正した。日本とも安全保障の分野で協力を強化している。とはいえ「日米と連携し、中国と対峙(たいじ)する」といった単純な構図でもない。 なぜなら、フィリピンにとって中国は今や最大の貿易相手国である。経済界では、旧来のスペイン系「アヤラ財閥」などに加え、「シー財閥」など中華系財閥の台頭が著しい。マニラ首都圏のビノンド地区にあるチャイナタウンは世界最古の中華街。両国の古くからの結びつきを象徴している。 フィリピンの実質GDPは2020年にコロナ禍で前年比9.5%減と大きく落ち込んだが、21年に5.7%増とV字回復した。22年7.6%増、23年5.6%増と順調に推移している。政府は今年も6.0-7.0%の成長率を目標にしている。 半面、名目GDPの規模は22年時点でASEANに加盟する10カ国のうち6位、1人当たりGDPは同7位と依然として“経済小国”でもある。経済の分野では中国との連携も強めざるを得ないのだ。