手と鼻と耳で見る絵画、オランダ・ファンアッベ美術館で体験するダイバーシティの世界
黒人、女性、非西洋のアーティストにもスポットライト
同展では、来館者の身体的な能力だけでなく、展示する作品にも多様性を反映させている。 例えば、パブロ・ピカソの作品が展示された部屋には、同年代に活躍したキューバ出身のアーティスト、ウィルフレド・ラムの作品が並ぶ。ピカソとラムは友人同士で、互いに影響を与え合ったというが、ラムにはこれまでほとんどスポットライトが当たってこなかった。この美術館では、アーティストの出身地や知名度に関わらず、影響を与え合ったものが同列に展示されている。
20世紀前半に活躍したオランダの画家、ピーテル・ウボルグの作品が展示された部屋には、彼がインドネシア滞在中に影響を受けたというジャワ島の面も展示されている。完成作品だけでなく、その作品に影響を与えたモチーフが展示されている点がユニークな上、これまで民族博物館に置かれてきたジャワ島の面が、アート作品として展示されているのも注目される。 一方、肖像画にも多様性が意識されており、黒人の姿が多く見られる。女性の権利のために立ち上がった人たちのパワフルな肖像画や移民の置かれた複雑な状況を反映する作品も印象的だ。複数の肖像画の背後には棚があり、その人物にまつわる歴史やバックストーリーを紹介する写真や文書なども展示されており、鑑賞者はそこからさらに想像を膨らませることができる。 これらの展示についてテンタイエ氏は、「マルチプルボイス(多様な声)を反映させました。さまざまなバックグラウンドを持つ鑑賞者が、それぞれ作品のストーリーとつながれるように工夫しています」と説明する。「私たちはみんな違っていて、みんな平等であるということを、アートの美を通じて伝えたい。多様な見方でオープンな関係をつくり出す場を与えることは、美術館が果たせる役割だと思います」(テンタイエ氏)
アートを見ること=自分を見ること
アムステルダムの美大、「Reinwardt Academy(ラインワルトアカデミー)」のマスターコースで博物館と文化遺産について研究する佐藤麻衣子氏は、同展を訪れた印象を語る。 「入口で着るポンチョとか、カラフルな壁の色とか、子どもが這ってくぐれるような壁の穴とか、人の心を刺激するような仕掛けがたくさんあります。肖像画の近くには、その人物のストーリーが展示されていて、いろんな角度でアートを鑑賞できるのがすごくいいな、と思いました」 佐藤さんは以前、水戸芸術館現代美術センターで、教育普及の学芸員として働いた経験があり、現代アートの自由な楽しみ方を伝えてきた。中でも、会話をしながら美術を楽しむ「会話型美術鑑賞」を提案しており、全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと共同で『しゃべりながら観る』という冊子も発行している。「美術鑑賞には知識が必要」と一般的にはいわれているが、そこで見えたものからどう感じるか、という主観でも見られるということを伝えたいという。 「主観によって思ったことは、どれも正解です。その人が生きてきた証とかバックグラウンドとかが、その見方や言葉に含まれているから、誰も否定できないし、優劣もつけられないですよね。だから会話をしながら鑑賞すると、ヒエラルキーがなく、フラットな関係がつくれるんですよ」(佐藤氏) 佐藤氏の考えは、エッシェ館長の考えと一致する。彼はコロナ禍でオランダがロックダウンに陥ったとき、オンラインビデオで美術館の作品を見せながら、アートの楽しみ方を解説した。「アーティストが与える文脈がどうであれ、美術館が与える文脈がどうであれ、あなたはいつでもその文脈から自分を解放することができるのです」 鑑賞者が自分の価値観や経験を照らしながら、自由にイマジネーションを膨らませる――美術を鑑賞するということは、結局は自分を映し出すことにほかならない。 展覧会の最後には、入口でポンチョを着たロビーに帰ってくる。ここには大きな鏡が据えられており、来場者が自分の姿を映してみることができる。自分はどんな作品になにを感じたのだろうか?美術館の小さなジャーニーを経た自分の姿は、鑑賞後に少し違って見えるかもしれない。
取材・文:山本直子 /編集:岡徳之(Livit)