メガサプライヤー時代(上) 自動車メーカーは部品を組み立てているだけ?
メーカーのもう一つの重要な仕事は製品の販売だ。つまり時間軸でみて一番上流にある製品企画と一番下流にある製品販売のみを行い、かつて製造業の核であった生産は外注化してしまう。実際企業に利益をもたらすのは上流と下流であって、真ん中は大して利益を産まない。この段階ごとの利益幅の厚さを表す言葉としてスマイルカーブという言葉がある。ちょうどスマイルマークの口の形に口角に当たる両サイドが上がり、真ん中が落ち込むからだ。 テレビメーカーの凋落がまさにそこにあった。海外のメーカーは画質の追求をほどほどに切り上げ、サプライヤー製品を安価に入手することで価格競争力をメインにした。そうして浮かせたリソースを商品企画と販売に集中したのだ。対して、日本のメーカーは高画質に拘って自社工場で部品を作り続け、多額の過剰投資に押し潰されて沈んで行ったのだ。結果を見れば後のリストラで、その虎の子の最新工場がサプライヤーに買い叩かれ、敵に塩を送ることになった。 現在の自動車産業が直面しているのが、まさにこの水平分業の時代にどう向き合うかという課題なのだ。折りしも欧州でディーゼルエンジンが次世代パワートレインとして急浮上した。そこに欧州自動車産業の戦略あるいは謀略の様な要素があるにせよ、一度現実化してしまった以上、日本のメーカーもそれに対応しないわけにはいかない。 ところが、日本は石原元都知事のパフォーマンス以来、乗用ディーゼルに対して市場が極めて閉ざされてきた経緯がある。急にディーゼルを作れと言われても技術は蓄積なのでそう簡単に垂直統合の中で処理しきれない。メーカーにもサプライヤーにも技術が無いからだ。 こうした中でメガサプライヤーのエンジニアリングを取り入れる流れが急浮上した。ディーゼルシステムの丸投げである。2004年頃だろうか、ボッシュが欧州製のディーゼル車を何車種も日本に持ち込み、実質的なメディア試乗会が開かれたりしたことがあった。当時BMWなどの大排気量ディーゼルに触れてその性能に驚いたものだ。思えばあれは日本の自動車メーカーに対するアピールの狙いが大きかったのだと思う。こうして、ディーゼルをきっかけに日本のメーカーもメガサプライヤー時代の流れに加わった。 後半では、メーカーとサプライヤーの力関係に加え、研究開発のみを行う技術会社についても話をしてみたい。 (池田直渡・モータージャーナル)