山崎賢人・主演「陰陽師0」映画オリジナルストーリーだが、まごうかたなき「原作小説の前日譚」! 映画を観ると原作がさらに面白く
推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は「オリジナルなのに原作通り」という奇跡を成し遂げたこの映画だ! 【画像を見る】「陰陽師0」をもっと楽しむための用語解説 先行する陰陽師作品と区別された「呪文」のアレンジ
■山崎賢人・主演! 「陰陽師0」(ワーナーブラザーズ・2024)
最初は「観なくてもいいかな」と思っていたのだ。夢枕獏の小説『陰陽師』(文春文庫)を原作としつつ、映画は原作にはない安倍晴明の若き日を描くオリジナルストーリーだと聞いたから。原作ファンとしては、「それ小説の映画化じゃないじゃん」と思ってしまったのである。 いやもう、そう思ってた過去の自分を殴りに行きたいね。そして、つべこべ言わずにすぐに映画館に行け! と尻を蹴飛ばしてやりたいね。なんだこれ。完璧じゃないか。ストーリーはオリジナルだが、まごうかたなき「原作小説の前日譚」ではないか! むしろ観ろ。原作ファンならむしろこれは観るべきだ。 まずは原作の設定から紹介しておこう。夢枕獏の「陰陽師」シリーズは1988年に第1巻が出てから昨年刊行の『陰陽師 烏天狗ノ巻』(文藝春秋)まで、短編集16冊、長編2作を数える長寿シリーズだ。関連本も多く、コミカライズやドラマ化、映画化、舞台化もされてきた人気作である。 舞台は平安時代中期。皇族から臣籍降下した雅楽家・源博雅の頼みを受けて、陰陽師の安倍晴明が鬼退治をする──というのがお決まりのパターンである(ここでいう「鬼」とは人の心に巣食うもののメタファーであることが多い)。式神を自在に扱い、不思議な力で物事を見通す安倍晴明。ファンタジーでありながらその根底には理屈の通った本格ミステリのような面白さがあったり、平安中期という時代ならではの価値観や風習に驚いたり、今と変わらぬ「人の心に巣食う鬼」に考えさせられたりと読みどころは多いが、最大の魅力は晴明と博雅のバディ関係にある。 とにかく、楽しいのだ。萌えるのだ。和むのだ。読んでいてにやにやしてしまうのだ。素直で人のいい博雅と、どこか人を食ったようなクールな晴明が、お互いを大切に思っているのが伝わる。ふたりの会話はワンパターンで、博雅が晴明にからかわれたり翻弄されたりするのだが、それも含めての様式美ができあがっているのだ。簀子の上で酒を飲みながらまったりする場面から、怪異との戦いの中で背中を預け合うような場面まで、とにかくこのシリーズはふたりを眺めるシリーズと言っていい。 だからこそ──思ったことはないだろうか? ふたりはどうやって出会い、何がきっかけで親友になったのだろう、と。それが映画では描かれるのである。しかも原作の世界観をまったく壊すことなく。