観念して「よろしくお願いします」と…正座して麻薬取締官に頭を下げた暴力団幹部が辿った「末路」
厚生労働省の元麻薬取締官だった高濱良次氏(77)は、移り変わる麻薬犯罪に対して、昭和から平成までの薬物事件捜査の第一線で活躍してきた。そんな高濱氏が、当時の薬物事情や取引の実態まで、リアルな現場について綴る──。 【まさかの光景】すごい…観念した密売人が麻薬取締官に対してとった意外な「行動」 ◆覚せい剤の〝密売所〟をガサ入れするはずが… 今回、紹介する事件は、’04年6月に日本テレビの『スーパーテレビ情報最前線』の『麻薬Gメン激闘24時』(日本テレビ系)の中で放送された事件です。当時私は近畿地区麻薬取締官事務所の捜査一課長でした。 ’03年(平成15年)11月。この事件の舞台は、当初は大阪市西成区内でありましたが、その後一大歓楽地「ミナミ」を抱える南区(現中央区)内に移りました。この二つのエリアを股にかけた暴力団幹部による覚せい剤密売事犯です。30年近く西成を拠点にして活動してきた私と同じ55歳の大物密売人は、塀(刑務所)の向こう側とこちら側を行き来しながら勢力を保ち続けてきたといわれておりました。当時の西成では覚せい剤は路上での販売が主流で、密売所を構えて売るというのは稀なケースでした。 この密売人が密売所としていた住居は、西成区とその北の浪速区との境界あたりの幹線道路沿いにあるマンション2階の一室でありました。2人の取締官が国道沿いに止めた車の中からわずかに見える部屋の出入りを見張り、客が来るのを待つことにしました。部屋に入った客はだいたい4~5分で出てきます。客が出てきたところを玄関口で押さえて、部屋の中に押し込みつつ踏み込むという作戦の下、各々の場所で待機し、急襲の瞬間を待っておりました。 2時間が経過した頃、客と思われる1人の男が玄関口に立ち、呼び鈴を押しました。ところが、ここで意外なことが起こります。どうやら部屋の中から応答がなかったようで、客と思われた男は仕方なくそのまますごすごと引き揚げていってしまったのです。 密売人は外出でもしていて不在だったのか? しかし、これまでの捜査から張り込み開始時点で在宅していることは確認済みのはずでした。したがって客の呼び鈴に出なかったことは、いささか奇異に感じました。 そのまま8時間、引き続き態勢を維持しましたが、結局その後は状況に変化がなく、密売人の身に何かが起こったのか、あるいはこの張り込みに気づいて逃走したのかと考えられたため、その日の捜査続行を中止し、引き揚げました。 ◆密売人の帰宅を待って踏み込んだ その後、密売人の動向などに関する情報収集を行い、別の潜伏先を突き止めました。やはり密売人は西成の密売所から逃走していたのです。新たな潜伏先は堺筋沿いで、道頓堀川北詰めにあるホテルでありました。密売場所は、そこから数km東にある地下鉄谷町線谷町九丁目駅近辺のラブホテルの一室で、そこを拠点にして覚せい剤を密売していることが浮上しました。 密売人の身柄はラブホテルのほうではなく、根城にしているホテルの部屋で押さえることにして、ホテルの近辺で帰宅を待つことにしました。部屋のドアを開閉したら気配がわかる距離の非常階段の踊り場で身を潜めて、ホテルの出入り口を見張っている仲間からの連絡をひたすら待ち続けました。 午前1時頃、密売人が戻ってきたため、入室したところをすぐ踏み込みました。密売人は「なんじゃ、こら」と声を荒らげながら暴れ出します。「何もせぇへんがな、ガサ、ガサや」と言いながら、私は密売人を押さえて傍らのベッド上に座らせました。そして「近麻や、近麻」と麻薬取締官事務所の名称を伝え、令状を見せました。「近麻」という言葉に密売人の抵抗はすぐに収まり、直ちに捜索が開始されました。 「覚せい剤あるやろ? なんぼぐらいある?」と問い詰めても「何もない」と、最初はシラを切っていた密売人でしたが、捜索の結果、その部屋からは無数に小分けされた合計82gの覚せい剤や合成麻薬MDMA、さらには大麻、またそれらを小分けするための電子秤などが出てきました。また、それとは別に売上金数百万円も見つかり押収しました。その後の取り調べから密売人は、月に400万円の利益を得ていたことが判明しています。 捜索では赤色をした錠剤タイプの新型の覚せい剤8錠も見つかりました。この錠剤はタイで蔓延している『ヤーバー』で、もともとは「馬のように走る」という意味の『ヤーマー』から命名された覚せい剤でありました。このような錠剤型の覚せい剤は、注射と比べ抵抗感が少なく、この薬物に対して私は麻薬汚染が更に拡がる危険性を感じていましたが、爆発的に拡散することはなかったようです。 部屋の捜索中、密売人はなんと居眠りをしておりました。「眠いか?」と聞くと、密売人は「寝てもうたらあかんしな」と顔を洗いに行きたがりましたが、まだ捜索中だったので我慢させました。急に眠気に襲われるのは、覚せい剤の禁断症状だろうと推測されました。 ◆逮捕された密売人の意外な行動 この密売人にとっては、今回で9回目の逮捕でありました。今度娑婆に出てこられるのは、少なくとも還暦を過ぎてからのことでしょう。捜索終了時に密売人は、「ハァーーッ……」とこの後に訪れる刑務所生活に思いを馳せたのか、落胆とも絶望ともとれるような吐息を漏らしておりました。 すると、彼は何を思ったのか突然ベッド上で正座し、我々に向かって「よろしくお願いします」と言って深く頭を下げたのです。そのような光景を目にするのは、私自身初めてだっただけに、驚くとともに戸惑いを覚えて、一瞬言葉に詰まってしまったのを覚えております。 ところが、この行為はその後に大きな波紋を呼ぶことになってしまったのです。それは当事者である密売人はもちろん、我々取締官にとってもその時には知る由もありませんでした。 密売人が頭を下げたのは、その後の取り調べで手間をかけることに対する儀礼的な挨拶という意味で、それ以上でもそれ以下でもなかったと思います。ところが、この密売人が出所してから、この時の行為が「極道の恥さらし」だと組から咎められ、その世界では重い「破門」という処分を受けたようなのです。そのことを情報提供者の口から聞かされ、私は自分が強要したことではないとはいえ、彼に対して憐憫の情を覚えたものです。 事件は、密売人の検挙でめでたく終了したかに見えました。ところが、実はその後、密売人がなぜ西成を引き揚げて、密売拠点を「ミナミ」に移したかという謎が解き明かされることになります。 ◆最初の〝ガサ入れ〟が失敗した「理由」 西成のガサ入れの時、我々はこの事件を取材させるために日本テレビのクルーを連れて、密売所近辺に赴いておりました。我々マトリは密売所近辺で息を殺して張り込み班からの連絡を待っていましたが、テレビクルーたちは、密売所のあるビルの出入り口が見渡せる路上で、借り上げたタクシーの車内から密売人の動きを捉えようとカメラを回して待っていました。そういった光景は西成では非常に珍しく、また付近の雰囲気とはそぐわなかったこともあって、周りからは奇異に映ったようです。テレビクルーは気がつかなかったようですが、近辺の住人たちは集まって遠巻きにテレビクルーの様子を窺っていたそうです。 そこにどこかから来た密売人が、最初は皆と同じように興味津々の体でその様子を窺っていたようです。しかし、カメラが向けられている方向を見て、犯罪者独特の鋭い感覚から「自分に捜査の手が伸びている」ということを悟り、その場から忽然と姿を消したということでした。 しかし、張り込み時点では密売人は確かに部屋にいたはずなのに、なぜ外出する場面に気付かなかったのか? いったい張り込み班は、その時何をしていたのか? そんな疑問も残ります。しかし、それは読者のご想像にお任せしたいと思います。
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