「シリアの首都・ダマスカスはなぜ陥落したのか?」その理由と今後の展開を専門家が徹底解説!
「陸自の師団は一日10km進撃しますから、かなり速い進軍です。防御するシリア軍は待ち受ける立場。勢いをつけて迫ってくる攻撃側のHTSの衝撃を受け止めて耐えなければなりません。 ここでは防御側の敵を通さないという強い心と連携が必要です。気持ちが緩み、敵を阻止する意志の弱い部隊は、攻撃部隊が少なくても衝撃力に耐えられず、防御戦に穴を空けてしまいます。組織で戦闘する防御陣地の一部が崩れれば、防御戦は早期に崩れる特性があります」(二見氏) シリア地上軍の頼みの綱となる露空軍の空爆は、報道されているところで2回のみ。11月27日のアレッポ、12月1日のアレッポ、イドリブだけ。勢いは無い。 「さらに11月28日には、アサド大統領が一度姿を消しています。当然、最前線のシリア軍兵士は『俺たちは何のために戦うんだ?』と疑問を持ちます。そして頼りの露空軍空爆もわずかしかない。 その情報は戦線後方に行けば行くほど、尾ひれがついていきます。シリア軍兵士の中に厭戦気分が広がります」(二見氏) そしてHTS進撃路の西側、レバノンからシリア軍を援護するための屈強なヒズボラ戦士が一向に出て来ない。 「ヒズボラは、イスラエルにほとんど潰されています。イラン自体もヒズボラ壊滅に近い状態で、地上軍である革命防衛隊を送り込むことは不可能。第一線で戦うシリア地上軍が降伏や逃亡した際の頼みの強力な反撃部隊。この場合、露軍はウクライナで地上兵力を抜くことができません。 どこからも援軍を望めない状況で、シリア軍は雪崩を起こすように崩壊しました。反政府軍を押さえ込むには10万人規模の増援が必要ですが、無理でした。そのため、12月5日にハマを征圧した時が戦闘の分水嶺でした」(二見氏) 12月8日にHTSはダマスカスの入り口にあたるホムスを落すと、同日、181km先のダマスカスに到達し、勝利。 「この間のシリア軍は、もうお手上げ状態で無抵抗でした。シリア軍内には『アサドは逃げているし、君たちは何のために戦っているの?』との情報が乱舞。HTSは『HTSに投降してもシリア軍兵士は酷い目に合わない』という情報と抱き合わせた情報戦を続けました。その結果、電撃戦で勝利。中東で、独裁主義国家が非常に民主的な形で革命を治めた新しい形です」(二見氏) 恐怖のアサド独裁政権が崩壊し、歓喜に包まれた首都ダマスカス。市民たちは「シリアはひとつ、シリアはひとつ」と叫び続けた。 ■なぜ反体制派武装勢力の中でHTSだったのか?