人間六度『推しはまだ生きているか』みんな生きることを疑っている。そのうえで、なんとかして生きる希望を見つけてほしい
SFとエモの二軸が人間六度らしさ
―― 初出を確認すると、次に執筆されたのは三編目の「完全努力主義社会」ですね。生まれた瞬間にさまざまなデータから七十五段階の期待値(できて当然のライン)が算出され、期待値からいかに努力で運命を切り開いたかを示す「努力係数」によって個人の所得が決まる。つまり、努力すればするほど報われる世界が舞台に選ばれています。 一編目の「サステナート314」の流れを受けて、それ以降も実験都市、実験社会をテーマとするのはどうかな、と。我々が生きるこの現実は結果主義の世界ですが、タイトルどおり「完全努力主義」になった世界ではどうなるか、そこで生じる倒錯を描きたかった。今までの作品とは違うアプローチで、闘病の話を書きたかったという思いもありました。僕は今29歳なんですが、大学浪人中の18歳の頃から数年間、白血病で入院していたんです。車椅子で生活をしていた19歳、20歳の頃は、しゃがんだ状態から自力で立てない、屈伸運動ができないくらい痩せてしまって。筋肉を付けるためにリハビリをしていたんですが、本当にきつかったんですよ。親がお金を払って僕はリハビリを受けているんですが、このキツさはお金をもらう側なんじゃないかと思ったほどです。その経験から、リハビリの模様を動画配信して稼ぐ、「自己介抱師」という職業を思いつきました。 ―― 異星人との人類存亡を懸けた戦いに挑んでいる19歳のメルトと、病院で車椅子生活を送りながら「自己介抱師」として働く24歳のノア。SFではお馴染みと言える「世界の終わり」のボーイ・ミーツ・ガール、ですよね。 大枠は『All You Need Is Kill』(桜坂洋)です(笑)。他にも、いわゆるセカイ系と呼ばれる作品を意識していましたが、例えば「世界の終わり」をもたらそうとしている異星人との戦いは、僕はサラッとしか書いていません。ちゃんと書き始めたら、その世界で生きている人たちの生活の部分が書けなくなってしまうからです。今まで紡がれてきた大きな物語の片隅で起こっていたような出来事、主人公たちの生活のことを、できるだけ丁寧に書きたい。そうすることで、今までにない作品になるのではと思いました。 ―― 最終戦争というSF的な大きな物語の中に、生活を積極的に取り入れていこうとしたからこそ、あのラストシーンの二人のやり取りが生まれた? 明確に意識したわけではなかったんですが、そうだったんだと思います。ワンチャンで勝つかもしれないという希望を残しつつも、ほぼ死ぬことが確定している戦いに向かっていくメルトに対して、ノアが何ができるかな、と。相手がやばい状況に立ち向かうのであれば、僕だってそれくらいのことはするぞと、自分にはできないことを「できる」と言うことではなむけにする、というイメージがあったんです。 ―― ノアは何を「できる」と言ったのか。最終戦争とそれとのギャップが、最高にエモかったです。 そう言っていただけると嬉しいです。人間六度らしさは今のところ、SFとエモの二つが軸かなと思っているので……エモって、自分で言うのはだいぶ恥ずいんですけど(苦笑)。