ヒトとサルをつなぐ100年前の大発見、実は科学界の猛反発を覆した意外な逆転劇だった
反発を呼んだアフリカ起源説
村の名前にちなんで「タウング・チャイルド」と呼ばれるようになったこの化石には、人類の祖先にふさわしい多くの特徴があった。眼窩(がんか、眼球を入れる骨のくぼみ)から額のあたりは明らかに出っ張っており、非常に人間に近い。また、細長い顎に小さな犬歯がついている点も、人間にそっくりだ。 ダートは、タウング・チャイルドはダーウィンの説を補うもので、人類発祥の「ゆりかご」はアフリカであることを示す証拠だと主張した。 1920年代の科学界では、進化論こそ受け入れられていたが、主に科学的人種主義の影響から、人類の起源はアフリカであるというダーウィンの仮説は広がってはいなかった。 「当時の常識では、アフリカは遅れているとみなされていました。そんな場所が人類の起源であるはずがないと考えられていたのです」。人類学者で、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)であるケネイロエ・モロピアネ氏はそう話す。 ダートは、1925年2月7日付けで学術誌「ネイチャー」に、この化石についての論文を発表した。その際に、この化石を「アフリカ南部の類人猿」という意味のアウストラロピテクス・アフリカヌスと命名し、これこそが人類の祖先となる新たな属と種だと述べた。 アウストラロピテクスはヒトを除く現生の霊長類よりもかなり進化しており、ヒトと類人猿をつなぐ絶滅した生物だとダートは主張したが、科学界からはあまり歓迎されず、論文は強い抵抗に遭うことになった。
英国で見つかったもう一つの「人類の祖先」
アウストラロピテクスを認めれば、ヨーロッパやアジアが人類発祥の地ではないと認めることになる。さらに、解剖学や進化のパターンにおいてタウング・チャイルドと矛盾する化石も存在していた。 何より重要だったのは、「ピルトダウン人」と呼ばれていた化石だ。1912年に英国で見つかり、人類の祖先ではないかと考えられていた。大きな脳と類人猿のような顎をもつこの化石は、「人類はまず脳が進化し、二足歩行といった他の特徴が現れたのはその後だ」とする仮説を裏付けるものだとされていた。 「タウングはそれとは正反対でした」。そう話すのは、古人類学者のバーナード・ウッド氏だ。 タウング・チャイルドは、脊髄につながる穴が頭蓋骨の底にあり、直立歩行していたと示唆される。しかし、脳は小さいため、「脳のサイズではなく、直立歩行が進化の鍵となった」ことを示している。ピルトダウン人と比べると、類人猿とヒトの特徴が混在しているアウストラロピテクスは、それまでの定説を覆す存在だった。 英国の多くの一流科学者たちは、進化の系統におけるピルトダウン人の位置を支持していたため、ダートの発見は滑稽なものとみなされた。そのため、タウング・チャイルドは完全に人類の系統から外され、若いチンパンジーか何かだろうと扱われた。批判の急先鋒だった解剖学者のアーサー・キースは、アウストラロピテクスを人類の祖先とする考え方を「ばかげている」と評した。 その理由として公に議論されたのは、進化の特徴と幼児の特徴を取り違えている、化石の地質年代が不確かであるといったことだった。しかしその裏には、別の非科学的な理由も存在していた。 「自分たちにつながるものの起源がアフリカにあるという点が、彼らの世界観と一致しなかったのです」と、古人類学者のローレン・シュローダー氏は述べる。 ダートは、この化石について書いた250ページの原稿が認められず、落胆したが、それを引き出しにしまい込み、さらに研究を進めることにした。