能登半島地震で液状化の石川・内灘町被災者「現実に対する覚悟をしておくことが一番の防災」
【改めて「防災」について考える】
石川県で初めて震度7を観測した能登半島地震。家屋の倒壊や大規模な火災など、被害は広範囲に及んでいまだに全容が見えない。石川県内灘町の津幡高義さん(53)に話を聞いた。 【写真を見る】津幡さんの事務所兼倉庫。建物全体がゆがんでいるように見える ◆ ◆ ◆
1月1日、実家近くの事務所兼倉庫にいたところで被災した津幡さん。地震が起きた瞬間は、あまりの揺れに何もできず、ただぼうぜんとしたという。 「液状化現象で地面が隆起し、床が割れて天井も崩れました。電気は大丈夫だったけど、すぐに水が止まった。テレビなどから情報は取れたが、“津波です、逃げてください” と言われても道路がひどい状態で逃げ場がない。高齢で認知症のある母親を避難所に連れて行くわけにもいかず、被害が少なかった実家にとどまろうと腹をくくりました」 断水したのは近隣でこの地域だけで、奥能登の被害の大きさもあり、なかなか支援が届かなかった。
「飲み水はもともと能登まで汲みに行っていたので、少しだけストックがありました。車で10分くらいの場所は被害もなく、商業施設が開いていたので何とか食料は買いに行けて、母親にはなるべく普段と変わらないように食事を作っています」 被災から4日後に金沢市の親族のもとでシャワーを浴び、1週間後にようやく仮設トイレが設置されたが、断水が復旧する目処は立っていない。 「顔を洗ったり歯を磨いたり洗濯したりできないし、ウェットティッシュで拭いても収集がないのでゴミが出せません。高齢者はトイレを我慢して水分を取らないのも心配です」という津幡さん。地震の翌日から窃盗団が出没し、被災者を狙った詐欺の電話やメールが増えていることにも頭を痛めている。 改めて災害への備えについて聞くと「水と電源、通信環境の確保と簡易トイレ、長靴。寒い時期は暖を取るものがあるといい」と回答。 「もっと問題なのは、住むところはあるけど仕事ができないこと。地震保険は被害の全額を補償するわけではないし、住家ではない事務所や倉庫はカバーされるのか。貸し付けや融資を受けてもどうなるか分からないが、支援金や義援金などは届くのに時間がかかる。こうした現実に対する覚悟をしておくことが、一番の防災になるのではないでしょうか」