マツダ ファミリア・ハッチバック1500XG(昭和55/1980年6月発売・BD1051型)【昭和の名車・完全版ダイジェスト112】
若者の間でFFハッチバックブームを巻き起こす、後のファミリーカーに大いに影響を与えた名車
この連載では、昭和30年~55年(1955年~1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第112回目は、ファミリーカーの新たなスタンダードとなったFFハッチバック、マツダ ファミリア・ハッチバック1500XGの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より) 【写真はこちら】欧州風の2ボックススタイルを実現したファミリア。XGでは窓枠を黒塗りすることで、完成度の高いスタイリングにスポーティムードを加えることに成功。(全7枚)
ファミリア1500XGは、1970年代までの若者向きのクルマといえばFRのクーペというイメージを、FFのハッチバックへ一大転換させたクルマと言える。登場したのは昭和55(1980)年の6月だ。 東洋工業(現・マツダ)は、昭和52(1977)年にFRながらハッチバックのファミリアを投入し市場基盤を作っていた。これも一定の支持を受けていたが、時代はFFとなりつつあった。 FRの場合、エンジンが縦置で室内を縦置きのトランスミッションとプロペラシャフトが貫通するため、どうしてもスペース効率が悪い。FFにすれば、エンジンが基本的に横置きとなり、そのまま前輪で駆動力を取り出せるためボンネットの中だけでパワートレーンが完結する。 このようなことから室内スペースが広く取れることはわかっていたが、そのためには横置きできるコンパクトなエンジンやフロントドライブシャフトの性能向上が必要だ。FRと異なりFFはドライブシャフトに舵角を与えなければならないために、優れた等速ジョイントを持ったドライブシャフトの開発には各メーカーでも苦労した。 そうした問題も1980年代になると、技術的進歩で解決できるようになった。さらにコンパクトさは当時の潮流ともいえる省燃費に通じることから積極的に採用され、その流れに乗ることができた。そして発売されたファミリアはFFハッチバックの代表的存在となり、主に若者層の間でブームともいえる時代を作ったのだ。
1500XGに搭載されるエンジンは、FF用に新開発されたE5型だ。水冷直列4気筒SOHCで、V字配列のバルブ、クロスフローポート、多球形燃焼室を採用している。最高出力85ps/5500rpm、最大トルク12.3kgm/3500rpmという性能は目立つスペックではないが、マツダで定評のあった低・中速域での太いトルクに加え、高速域でも伸びを感じさせるものだった。 さすがにスポーティエンジンとまではいえないものの、スペック以上の性能を感じさせるものだった。ちなみに1.3Lエンジン搭載車も設定され、そちらに搭載されたE3型は最高出力74ps /5500rpm、最大トルク10.5kgm/3500rpmを発生する。 サスペンションは、マクファーソンストラット式を用いた4輪独立式だ。フロントは、ボディ側に2点で支持されるA型ロアアームを採用した。リアサスペンションは、マツダ独自開発の「SSサスペンション」とも呼ばれ、直進安定性およびコーナリング性能を高めている。 ステアリングも、ダイレクト感の高いラック&ピニオンを採用しているだけでなく、最小回転半径を4.6mとするなど、取り回しの良さも特徴だった。 エクステリアに関しては、ファッショナブルな2ドアハッチバックとして、絶大な人気を得たといえる。全体的に直線基調で、スラントノーズとすることでウエッジシェイプにし、サイドビューはベルトラインを低くして安定感を演出していた。 ハッチバックは後部扉が大きく開閉するもので、当時クラス最大を誇った。リアハッチのガラス面積が大きいため後方視界が良い点もビギナードライバーなどに支持された。 インテリアでは一部グレードを除きチルトステアリングを採用している。またフロントシートも背もたれを後方に倒すことにより後席と一体になるフルフラットシートとするなど、快適性にこだわった。リアシートの背もたれも2分割式するほか、前2段、後4段にリクライニング機構を設けていた。 走りに関してはパワーこそそこそこだが、操縦性にすぐれていたために、ワンメイクレースが行われたり、ダートトライアルでも活躍する姿が見られた。当時のダートトライアルのトップドライバーの言葉を借りると「どうにでもコントロールできる」というほどの扱いやすさを持っていた。FF車の癖を上手に抑えたのは、走りにこだわるマツダの真骨頂といえる部分だろう。 このファミリアは第1回日本カー・オブ・ザ・イヤー(1980-1981年)を受賞したのも話題となった。それに乗じて販売も伸びて、当時販売台数では絶対的な存在だったカローラを超える月もあった。そういう意味でも昭和の一時代を築いたクルマだ。