都市対抗ノーノー達成の阿部良亮は無印からドラフト候補に急浮上するのか
だが、元ヤクルトのスカウト責任者だった片岡宏雄さんは、「この試合だけを見たら、プロで十分に通用する。間違いなくドラフト候補として急浮上してきただろう」と言う。 「完璧なコントロールだった。きょうのピッチング内容ならば、すぐにプロでやれる。右打者のインサイドへのツーシームがよかった。プロでもインサイドへ、あそこまでのコントロールはできない。社会人ならなおさらだろう。体格もある。例えスピードに不満でも、あれだけの制球力があれば十分。ヤクルトが1990年に専修大からドラフト1位指名した岡林洋一も、スピード不足を野村監督が指摘していたが、1年目から2桁勝った。コントロールも天性だと思う。やってみなければわからない外国人を補強するよりも、安定感のある阿部を指名しておこうという考えが球団によっては出てきてもおかしくない。ドラフト解禁後、1年がすぎて、大きく成長してドラフト指名されることになるのは、よくある話だ」 名スカウトは、そう阿部を評価した。 確かに都市対抗での大記録はプロへの登竜門である。 過去にノーノー、完全試合を達成した4人のうち3人は、その後、プロへ進んだ。1940年にノーノーをやった中山製鋼の市田夏生は、33歳で広島カープへ。1954年にノーノーをやった川崎トキコの岡本教平は、翌年、近鉄パールスへ入団。特に記録が人生を変えたのが、2011年にドラフト3日前に54年ぶりに完全試合を達成したJR東日本東北の森内寿春だ。当時、青森大から社会人に入って5年目。27歳になる年齢もあってプロから調査票も届かぬノーマークの選手だったが、このピッチングでドラフト候補として急浮上、日ハムから5位で指名された。森内は開幕1軍に抜擢され、1年目は貴重な中継ぎとして56試合に登板する活躍を見せたが、3年目に肘を痛め手術。結局、1勝もできないまま4年で戦力外となり現在西武で打撃投手を務めている。 阿部も、そのシンデレラストーリーの入り口に立ったのかもしれないが、「これで満足せず、次がある。ひとつづつ勝って優勝したい」と、謙虚に気を引き締めた。ドラフト候補として急浮上した評価を一発屋ではなく、揺るがないものにするためにも、次の登板が重要になる。