「わたしの言葉」ってなんだろう? 東京都現代美術館『翻訳できない わたしの言葉』展をレポート
コミュニケーションそのものが私にとっての言葉
先住民族アイヌをルーツに持つマユンキキは、対話を収録した映像作品2点と自分の部屋を再現した空間を構成するインスタレーション作品《Itak=as イタカㇱ》を展示している。 「イタカㇱ」とは「(聞き手を含まない)私たちが話す」という意味。映像や空間は、マユンが大切にしているものや人々、言葉を提示しており、個人としての姿を通して、一人のアイヌであるマユンに出会ってほしいとの意図があるという。 マユンにとっての安全な空間に入るために、鑑賞者にはあらかじめ用意してあるパスポートへのサインを促される。パスポートには、例えば「私はアイヌが日本の先住民族であることを知っている」「自分が無知であることを知ったあとに、そのことについて深く学ぶ姿勢がある」などの問いが並ぶ。 「いま私が日本のなかでアイヌとして生きていると、安全が確保されていないと自分を見せるようなことができない。日々恐怖を感じるなかで、それを伝えなくてはならないと思っていた」とマユン。部屋に入ってもパスポートの中身を確認されることはないが、「サインをするということで一度ちょっと考えたり、何かを見るにあたって自分で選択するということをしてもらいたいなと思う」と語った。 マユンの部屋を出ると、映像作品を取り囲むように椅子やテーブルが置かれている空間が出現する。南雲麻衣のインスタレーション《母語の外で旅をする》。南雲は3歳半のときに聴力を失い、7歳で人工内耳適応手術を受け、音声日本語を母語として育った。18歳で手話(視覚言語)と出会い、いまは日本手話を第一言語としている。 インスタレーションでは、南雲がパートナーや友人、母親らと食卓を囲んでコミュニケーションをとる様子が映し出されている。設置されたテーブルの先に映像が映されており、鑑賞者も南雲らが囲む食卓の延長線上にいるように感じられる仕掛けになっている。 南雲は「私は言葉というのは、日本語・日本手話などというラベルを付けてしまうと『石』のような性質を持つように感じています。つまり、相手と私とのコミュニケーションそのものが私にとっての言葉なんです。相手をわかるための言葉が何であるかというラベルは捨てて、その相手との世界を楽しみたいという気持ちを含めて撮影しました」とした。