『恍惚の人』が半世紀前に予知していた…日本人がどんどん膨らませていった「老いと痴呆」への恐怖
名称変更しても恐怖は強まるばかり
有吉の場合、老いへの怖れを抱きはじめたのが、いささか早すぎたきらいはある。しかしその感覚は、日本人がその後どんどん膨らませていくことになる老いへの怖れを予知したものだった。 『恍惚の人』から約十年後、佐江衆一は『老熟家族』(1985年)を書いている。息子一家と同居することになった、老夫婦。それまでずっと核家族で過ごしてきた孫達は祖父母を邪険にし、親達はうろたえるばかり。やがて痴呆症の祖母は殺されてしまう、という壮絶な小説である。佐江はやがて、自らの介護体験をベースにして書いたやるせない老老介護小説『黄落』(1995年)を書いてベストセラーとなったのであり、これらの小説は、『恍惚の人』以降、痴呆に対する恐怖が強まっていったことを示していよう。 2004年(平成16)には、「痴呆」が侮辱的表現であり、実態に合っていないということで、「痴呆症」は「認知症」と呼び替えられることになった。が、名称変更によって恐怖が軽減されたわけではない。日本人の平均寿命は延伸を続け、認知症患者も増加を続けているのであり、「いつか、自分もなるかもしれない」という感覚もまた強まり続けているのだ。 『恍惚の人』の終盤では、将来の日本では少子化、高齢化が進み、「生活力を持たない4人の老人を、1人の若者が養わなければならない大変な時代がくる」と書かれる。まさにそのような世に日本はなりつつあり、現在のような老い本ブームの50年以上前に、有吉佐和子は一人で老い本ブームを起こしていたと言えよう。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子