「お風呂の中でスピーチを練習」逆境を乗り越えた偉人たちの勉強法とは?
生死をさまよう重傷を負ったことで画家の道へ(フリーダ・カーロ)
人生のどん底でも、学ぼうとした女性がいます。メキシコの画家フリーダ・カーロです。6歳でポリオを発症したフリーダは、9カ月もの間、病院の外に出ることができず、後遺症も残りました。 それでも勉強が得意だったため、フリーダはメキシコ市屈指のエリート校である国立予科高等学校に入学。学校では刺激的な仲間に囲まれて、フリーダの目も外に向けられたようです。「とうとう足のことを忘れてしまった」というほど、充実した学生生活を送っています。 ところが、そんな矢先にフリーダは悲劇に見舞われることになります。フリーダの乗るバスが、路面電車と正面衝突してしまったのです。フリーダは何カ所も骨折するという大けがを負いました。それは、お医者さんが「もう生きられないかもしれない」と考えるほどの重傷でした。 「呼吸が苦しく、肺と背中全体が痛みます。足を動かすことも歩くこともできません」 そう嘆くフリーダのために、母は病院のベッドを改造。ベッドに横たわると、上の鏡で自分の姿が観られるようにしました。 「こんなときに自分の姿なんて見たくないよ……」 最初は、そう戸惑ったフリーダでしたが、寝転がって自分の顔を見つめているうちに「絵を描きたい!」という思いがむくむくと湧いてきました。父に絵の具を買ってきてもらうと、フリーダは自分の顔、つまり、自画像を描き始めます。そして、自分の自画像が出来上がると、今度は家族の顔を描き始めました。 食べるのも忘れて描き続けたフリーダ。まさか、自分が画家になるとは、想像していなかったことでしょう。 フリーダは絵を描くことで、ただ痛みに苦しむことだけの日々から、抜け出そうとしたのかもしれません。何かを学び、身につけることは、私たちにいつも「生きがい」を与えてくれるのです。 【こぼれ話】 生死をさまようほどの事故の後、フリーダは22才のときに、44才のディエゴ・リベラと結婚します。フリーダがディエゴに絵のアドバイスをもらったのが、出会いのきっかけといわれています。リベラは「尋常でない表現のエネルギーを感じた」とフリーダの作品を評価し、フリーダもまたディエゴを尊敬していました。 ただ、お互いに強烈な個性があるがゆえに、結婚生活は波乱に満ちたものでした。一度は別れを選んでいますが、再び結婚しています。互いに運命の相手だったのでしょうね。 【名言】 「たったひとつ、よいことがあります。それは苦痛になれ始めたことです」