「生き方もたたずまいも、すべてが粋」北の富士さんと名コンビを組んだ藤井康生アナが悼む
北の富士勝昭さんの訃報を受け、解説と実況で名コンビを組んだ藤井康生アナウンサー(67)が21日、思い出を語った。 【写真】NHKのブースで解説する北の富士氏と藤井康生アナ 藤井アナが2022年1月末にNHKを退局するまで、大相撲中継で何度も実況と解説の立場で言葉をかわしてきた。「なんとも、言葉もないですよね。入退院を繰り返されていたと聞いていました。あまりに突然で、どうしたらいいか…。悲しいですね」と切り出し、言葉を絞り出した。 「四半世紀にわたって仕事をさせていただいて、昭和30年代から40年代の良き大相撲の時代を語れるのはあの人しかいない。放送の中でできる限り、今がよくないわけでありませんが、いい時代、自分が子供のころに触れ合った相撲の思い出話を引き出せればと思っていました。北の富士さんの話は、情景が目に浮かぶんです」 1957年1月7日。藤井アナが生まれた日、北の富士さんは角界入りするために北海道から電車で上京、上野駅に降り立った。北の富士さんは「縁だね」と言って、当日のことを話してくれたことがある。 のちに横綱北の富士となる14歳の竹沢勝昭少年は、間違って動物園側に出てしまう。履いていたゲタを滑らせて転倒し、餞別(せんべつ)として持ってきていた小豆の1袋が破れて、道にばらまいてしまった。すると、通勤途中の通行人たちが、拾ってくれたという。 藤井アナは「語る名人、聞かせる名人でした。こう言っては失礼ですが、大相撲の詳しい解説は北の富士さんにはあまり期待していない。北の富士さんしか語れない物語を引き出したいと思っていました」と回想する。 ある時、取組中に力士のさがりが3、4列目の客席まで吹っ飛び、バトンリレーするように戻ってきたことがあった。「その情景を実況したんですけど、そうしたら、北の富士さんが『残念だね』って言うんです。『さがりが飛んでくるのは珍しいこと。神聖なものが飛んできただから、できれば1万円札を出してさがりにしばって次々にリレーしたら、ちょっとしたご祝儀になるでしょう』と。突然そういう話をしてくださる。大相撲だけでない、奥の深い、粋なところを放送の端々で出してくださる。もう出てこないですね、こんなに語れる方は」。 北の富士さんは解説者になってからも、ファンだけでなく、アナウンサーらも魅了した。藤井アナは「NHKの大勢のアナウンサー、ディレクター、携わっていた人がどれだけお世話になったか分かりません。身なりからすべて、生き方にしても、たたずまいすべて、表現を含めて、粋でしたね」と故人の功績に感謝した。【佐々木一郎】