「優しさ・思いやり」重視の日本の人権教育、世界と深刻なズレ 政府の義務が自己責任にすり替えられる危険性
世界で118機関設立されている「国内人権機関」が日本にない
人権教育について大きな役割を担うのが「国内人権機関」だ。これは英語の National Human Rights Institutionのことで「国家人権機関」と訳されることもある。国際人権基準を国内で実施するために重要な役割を担うもので、人権機関の地位に関する原則(パリ原則)に従い、独立性を確保したものが求められる。2024年6月現在、すでに世界で118機関が設立されているが、日本はいまだに設立への見通しが立っていない。 国内人権機関の役割の1つが人権教育で、例えばフィリピンではそのスタッフがジープで山村を訪問し、「自分たちの人権にはどういうものがあるのか」について授業をするという。そして、小学校でも子どもの権利条約の内容が掲示されている。 英国にも国内人権機関があり、そのウェブサイトにあった動画を見ると「人権とは?」「差別とは?」という質問に対し、6歳くらいの子どもたちが「ただ単に信条が理由で、違った扱いを受ける人もいるよね」「もし権利というものがなかったら、人々は世界中でいじめに遭っていたと思う」という具合にみんなしっかり答えていて、人権についてきちんと教えられていることがわかる。 自分の権利を理解し、ほかの人の権利行使も尊重する、そういう人権教育を受けた子どもたちが大人になり社会人となっていく。その中に、政治家、教師、ジャーナリスト、企業の重役など、影響力のある立場の人も多く含まれる。その政策決定過程や発信に人権意識が反映され、さらに社会に影響を与える可能性も大きい。教育の役割は重大だ。日本でも本来の人権教育の普及が望まれる。 (注記のない写真:Davidovich / PIXTA)
執筆:藤田早苗・東洋経済education × ICT編集部