【プレイバック’94】「つくば妻子殺害事件」幸せだったはずの医師の家庭が〝暗転〟するまで
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1994年12月2日号掲載の『医師の妻子殺人事件「夢の家庭はなぜ崩壊したか」』を紹介する。 【死体遺棄翌日に北海道に愛人と旅行を…】ひどい…妻と幼い子供2人を手にかけた医師の戦慄姿 1994年11月3日、横浜港内の岸壁近くでビニール袋詰めの女性の遺体が発見された。その後、同じ場所から2人の幼児の遺体も次々と見つかることに。いずれの遺体もビニール袋に入れられて首に絞められたような跡があったことから、神奈川県警は殺人事件として捜査を開始した。 遺体の身元は茨城県つくば中央署に捜索願いが出されていたA子さん(当時31)とその子供のB子ちゃん(当時2)、Cくん(当時1)と判明した。捜索届けを出したのはA子さんの夫で、県内の総合病院に勤務する医師のX氏だった(《 》内の記述は過去記事より引用)。 ◆「患者のために尽くす医師」だったX氏 最初の結婚に失敗し、つくば市のメディカルセンターで働いていたA子さんは医師や看護師らが参加するテニスサークルの飲み会で、当時研修医だったX氏と知り合い、交際を始めたという。1991年11月にA子さんは長女のB子ちゃんを出産する。そしてその直後に2人は結婚届けを出した。 X氏は茨城県岩井市出身。筑波大医学専門群を卒業後、研修医を経て1993年の4月から地元の病院に勤めていた。《「仕事熱心で、徹夜をして患者さんのために尽くしていた。大きな信頼を寄せています」(X氏が勤務していた病院の院長)》という証言もあり、仕事での評判は良かったようだ。 結婚後はつくば市内の一軒家に転居して1993年には長男のCくんも生まれた。だが、幸せに包まれているかにみえたX氏とA子さんの結婚生活に暗雲が漂い始めるのに時間はかからなかった。 ◆なぜかおカネに困っていたA子さん かつて知人に「医師と結婚したい」と語っていたというA子さん。毎週1回、朝6時半に家を出て、B子ちゃんを東京・自由が丘の幼児教室に通わせるなど、結婚生活は一見裕福で幸せそうに見えた。だが、その一方で、医療検査会社でアルバイトをするなど、外に働きに出てもいたようだ。 《「新聞のチラシの求人広告を見て来たようです。自分は医者の妻だけど、おカネに困っていると話していました」(アルバイト先の関係者)》 なぜ、そんなにおカネが必要だったのか。A子さんの知人は次のように語っていた。 《「Xさんには同じ病院に勤める看護婦の愛人がいた。彼女は、その女性と話し合いをしたこともあるそうです。9月頃から離婚話が持ち上がっていましたが、子供のためにも離婚しないと言っていました。彼女が深夜のパートに出ていたのは、夫からのもらい物(生活費)が少ないからと、彼女の母親から聞いています」》 遺体の足の裏などが汚れていなかったことから、警察はA子さんらが自宅で殺害された可能性が高いとしていたが、本誌の記事の締め切りだった1994年11月16日の時点では犯人は分かっていなかった。夫であるX氏からも警察は連日のように話を聞いていた。X氏は『早く犯人をつかまえてほしい』と、冷静に取り調べに応じていたという。 〝セレブ家庭の暗転〟がその年1番のワイドショーネタに 1994年11月25日、神奈川・茨城両県警はX氏を殺人および死体遺棄罪で逮捕した。X氏から事情を聴いていく中で、捜査員が手の甲に小さな傷があることを発見。X氏は飼い犬に噛まれた傷だと主張したが、捜査が進むにつれ夫婦間のトラブルが明らかになったのだ。 X氏の供述によると、10月29日の午前5時にX氏の愛人問題などで険悪な仲になっていたA子さんと口論になり、A子さんが包丁とロープを持ち出して「いっそ私を殺せばいい」などと言ったり、病院長に愛人のことを訴えると言い出したために犯行におよんだという。子供2人も父親が殺人者になるのを不憫に思って殺害したとのことだった。決め手となったのはX氏が横浜港に遺体を遺棄した当日に高速のNシステムに車のナンバーが映っていたことだった。 X氏が何人もの女性と浮気をしていたこと、大阪や九州などに購入した投資用マンションのローンに追われて家計が火の車だったことも明らかになった。また、X氏は遺体を遺棄した翌日も、愛人との北海道旅行を予約していた。 検察側が死刑を求刑したのに対して1996年2月、横浜地裁はX氏に無期懲役の判決を言い渡した。検察、X氏ともに判決を不服として上告したが、棄却され1997年2月に判決が確定した。 この事件は一見幸せそうな医師の妻とその幼い子供2人が無残な殺され方をしたことから、世間から大きな注目を集めた。とくに民放各局のワイドショーでは連日、事件について長い時間を割いて取り上げられた。その放送時間は1994年に起きたニュースの中でも「中華航空機炎上事故」(4月)、「ビートたけしさんバイク事故」(8月)を抜いて1位となった。これらの報道は被害者のA子さんの過去の私生活について踏み込んだものが多かったことから、被害者の人権やプライバシーについて指摘されることとなった。
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