ラストシーンの意味は? 終盤に込められた狙いとは? 映画『トラップ』評価レビュー。M・ナイト・シャマラン最新作を徹底考察
最後に対峙する相手が妻レイチェルである理由
FBIの博士でも、レディ・レイヴンでもなく、クーパー/ブッチャーが最後に対峙するのは妻レイチェルであった。細部は全く異なるものの、焦点を当てる登場人物の唐突な移行という点では『サイコ』をなぞっていると言えなくもない、映画を締めくくる自宅内での夫婦のやり取りは、その不可解さとカタルシスの不在によってか、作品そのものについて肯定的な観客にも総じて不評だったように思える。 しかしながら、これまで確認してきた左右の対立に加えてシャマラン自身と家族の関係性を重ね合わせることで、このクライマックスはまた異なる相貌を露わにするのではないか。最後に、自宅での夫婦のやり取りを詳しく追ってみよう。 舞台が自宅へと戻ると、キッチンでレイチェルが湯を沸かしている。彼女の背後を映したやかんの反射にフォーカスを当てたショットが不安を高めるなか、背後から夫の声が聞こえる。振り向いた彼女は、棚を挟んでついにハートネットとの対話を開始する。 棚越しに切り返しショットを連鎖させる形で進んでいく会話では、まずハートネット側を映す際のカメラが観る者に強烈な違和感を抱かせる。あえてハートネットの顔面の右側を隠すように、画面の左上部四分の一と棚がほぼ重なる不思議な位置に据えられたカメラが、テーブル脇の椅子に腰かけた彼の姿を捉える。そして、会話の内容とともに、テーブルの上、彼の左手側に置かれたナタが不穏さを煽り立てる。 切り返しを行うたびに徐々にカメラが移動すると、はじめは隠れていたハートネットの全身も、画面右側にはっきりと映し出されるようになる。しかし、この一連のシークエンスでは棚の位置関係を生かした陰影がまた異なる効果を上げている。彼の右半身は画面には映っているが、光が当たっていない。明暗の対照によって、これまでとは異なる形で左右の対立が視覚化されるのだ。
妻との対決と母の幻視
妻はあらかじめ何かに気づいていた。会話が核心に迫るとともに、彼は返り血を避けるためにシャツを脱ぐと、ナタを左手に持って立ち上がり、棚の脇を回り込んで妻と正面から向かい合う。 そもそもライヴ会場で仕掛けられたトラップは、彼がブッチャーである可能性に気がついていた妻レイチェルが仕掛けたものだった。いまだにシャマランの映画にどんでん返しばかりを求める観客からすれば拍子抜けするようなこの真相が明かされるとともに、上半身裸で仁王立ちしていた夫は、いよいよナタを右手に持ち替える。※1 しかし、ここでレイチェルが最後にライリーのお祝いのためにとってあったパイを一緒に食べようと提案する。カメラは、彼女の申し出を受け入れテーブルへと戻るハートネットを左側から捉える。一時的にクーパーの人格が戻ってきたことを示すように、着席した彼はナタを再び左手側へと持ち替える。 彼の右半身と正対する形で座った妻との会話では、またも左半身のみに照明が当てられることで、左右の対立が光と闇の対立と重ね合わされる。小休止を挟んで、再び邪悪なブッチャーの顔が存在感を増す。気がつけば彼の顔はすべて影の中に入っている。ところが、妻を殺したのち自殺しようとしたと思しき彼の試みは、パイに夫のカバンから奪った麻酔を混入した彼女の機転によって成就されずに終わる。 続いて、自らの異変に気付きつつ立ち上がったハートネットを、カメラはこれまでよりもやや俯瞰気味の角度から正面に捉える。するとほぼ同時に、上方、天からの声を想起させる形で、画面向かって左側、彼の右耳側のみから母と思しき女性の声が聞こえてくる。そして、その直後右眉を動かして声に反応した彼は、開いたドアの向こう側、画面奥に母親の姿を幻視する。※2 ―――――――――――――――――― ※1 「どんでん返しTwist」を求める観客とシャマランの不幸なすれ違いの歴史については、以下の短文で論じた。「「目覚め」から「継承」へ――M・ナイト・シャマランの30年」『トラップ』劇場用パンフレット、p17. ※2 ここで母らしき声が画面左、右耳側からのみ聞こえることは、ハートネットの身体の向き、扉との位置関係とも一応符合する形となっている。