「茶の湯の美学 ―利休・織部・遠州の茶道具―」(三井記念美術館)開幕レポート。茶の湯の伝説的名品が一堂に
東京・日本橋の三井記念美術館 で、桃山時代から江戸時代初期にかけて茶の湯を牽引した、千利休(1522~1591)、古田織部(1544~1615)、小堀遠州(1579~1647)の、それぞれの美意識に焦点を当てた展覧会「茶の湯の美学 ―利休・織部・遠州の茶道具―」が開幕した。会期は6月16日まで。担当は同館学芸部長の清水実。 同館は三井家が収集した美術品を収蔵しているが、なかでも茶道具は江戸時代以来長年にわたって収集されており、潤沢なコレクションを形成している。本展でも同館のコレクションから、茶の湯の歴史を知るうえで重要な作品群が並ぶ。 本展はまず最初に利休、織部、遠州それぞれの美意識がいかなるものだったのかを総覧したうえで、各人の志向した茶の湯の姿を深堀りする構成となっている。 展覧会の冒頭では利休、織部、遠州それぞれのゆかりの品が一堂に会する。まず、茶の湯の様式を完成させた利休の美意識を、本展では「わび・さびの美」として紹介。利休好みといえば黒茶碗を思い浮かべる人も多いだろう。ここでは重要文化財である長次郎作《黒楽茶碗(銘 俊寛)》(桃山時代・16世紀)をその代表として展示する。 また、利休が始めたとされる節の裏を深く削りこんだ「蟻腰」がある茶杓《竹茶杓 銘ホトトギス》(桃山時代・16世紀)や、長次郎作としては唯一の香炉といわれる《黒楽口寄香炉》(桃山時代・16世紀)など、利休好みの「わび・さび」の世界を端的に知ることができる。 続く織部の美意識は、既存の価値観を転換する「破格の美」として紹介される。武将として利休の美意識を受け継ぎながらも、それを「破格」していく志向が典型的に現れているのが、織部が所蔵したとされる《大井戸茶碗(銘 須弥、別銘 十文字)》(桃山時代・16世紀)だろう。織部を主人公とした山田芳裕によるマンガ『へうげもの』でも扱われた本品は、歪んでいた朝鮮の大井戸茶碗を十文字に割り、それを継いで小さくしたという大胆な逸話を持つ。 ほかにも強く変形させたうえで無造作な耳をつけた花入《伊賀耳付花入(銘業平)》(桃山時代・16~17世紀)や、朝鮮に注文したと思われる歪んだ沓形茶碗《御所丸茶碗》(朝鮮時代・17世紀)など、枠にとらわれない織部の自由な発想を堪能できる。 織部に茶を学び、その亡き後も茶の湯を牽引した遠州の美意識は「綺麗さび」だ。利休のわび茶を継承しながらも、織部の影響も大きく受けたもので、さらに徳川幕府の作事奉行(技術系高級行政官)として活躍した遠州らしい、几帳面さを感じさせる端正な好みが表れている。 こうした遠州の好みが顕著なのが《高取面取茶碗》(江戸時代・17世紀)だ。茶碗の腰が美しく面取された本品は、その気品あるフォルムがまさに「綺麗さび」を象徴している。 また、三者の美意識の紹介とともに、三井記念美術館を象徴するコレクションのひとつである《志野茶碗(銘 卯花墻)》(桃山時代・16~17世紀)も、国宝の名碗として紹介されている。本品がいつごろ焼かれたのかはわかっていないが、現在にいたるまでの茶の湯の歴史のなかで、大きな存在であり続けている。 展覧会の後半にかけては、利休、織部、遠州それぞれのゆかりの品をより深く紹介していく。例えば、わび茶の創始者とされる村田珠光の筆と伝わる山水図は、利休の「わび・さび」のルーツを知るうえで重要なものといえるだろう。 ほかにも織部の好んだ緑釉の香合や瓦、遠州の味のある筆跡がよくわかる直筆の色紙や消息など、茶の湯をつくりあげた各人の美意識が込められた品々を堪能できる。 利休、織部、遠州と誰もが知る名茶人たちの美学を、それぞれの差異や引き継がれた共通項を意識しながら感じることができる展覧会。日本の美術の歴史において重要な役割を果たした名品の数々を一堂に、そして間近で見られる貴重な機会となっている。
文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)