“鉄人”高木美帆が北京五輪13日間で7レース1万3200m滑り抜いた最後に金メダルがあった理由とは?
昨年末に行われた北京冬季五輪代表選考会でのひとコマ。高木が小平へ畏敬の念を捧げれば、まだ中学生だった高木とともに代表に初めて名を連ねた、2010年のバンクーバー五輪から世界を意識して戦い、平昌五輪の1000mでは小平が銀、高木が銅メダルでともに表彰台に立った小平も、高木へこんな言葉を残していた。 「私を越えていってもらわないと世界とは戦えない。ここまで大きく成長してくれたことは、すごくリスペクトできると思っています」 その小平は1月中旬に右足首を捻挫。必死に間に合わせようと調整を重ねてきたが、出場した2種目は不本意な結果に終わった。それでも、団体パシュート後にかけられた小平の言葉で救われたからこそ、高木は抱きしめて思いを伝えたかった。 1000mを数時間後に控えた昼食時には、菜那からこんな言葉をかけられた。 「美帆、銀メダルでも快挙らしいよ」 金メダルを期待される状況で、少しでも緊張をほぐしてあげようと、ひとつの大会で4つの銀メダルを獲得する価値を菜那は伝えたかったのだろう。 「それにどのように反応していいのかと思って」 思わず苦笑した高木はメンタル面を充実させていた一方で、体調面に一抹の不安を覚えていた。不退転の決意で5種目に挑んだものの、さすがに7レース目になると身体に疲労が蓄積する。心肺機能にも負担がかかるからか、レース後に咳き込む姿も目立った。 「自分の調子うんぬんではなく、身体の内側の方、内臓で疲労をすごく感じていて。最後まで私の身体が持つのかな、という不安も実際のところありました」 こう振り返った高木の背中を力強く押してくれたのがデビット・ヘッドコーチであり、先輩の小平であり、姉の菜那であり、トレーナーをはじめとするスタッフであり、レース当日に日本からメッセージを届けてくれた友人たちだった。 さまざまなエールを力に変え、まさにギリギリの状態で五輪記録を更新。その結果として手にした個人種目での金メダルへ、高木はあらためて感謝の思いを捧げる。 「スタートの一歩目をひるまずに踏み出すことができました。一人では絶対に成し遂げられなかったし、みんなで取った、いろいろなものが詰まった金メダルだと強く感じています。1000mを終えてやっとみなさんに『ありがとう』と言えると思っています」 戦いはまだ終わらない。18日の男子1000m、菜那が出場する19日のマススタートを応援する側に回り、日本選手団の主将として臨む20日の閉会式も待っている。 日本の冬季五輪史上で男子を含めて最多となる、一大会で4個のメダルを獲得した。平昌五輪の3つを合わせた計7つのメダルも、夏季五輪を含めた日本女子選手で歴代最多を再び更新した。7レースを完遂した過酷な13日間を通して、高木は「一人では越えられないものもあるんだなと、いまは感じています」と言い、こう続けた。 「戦うとか強くあるというのは、弱くなっちゃいけないというわけではなくて、たとえ弱くなるときがあっても、また一歩を踏み出すことなのかなと少し感じています」 世界の歴史に残るオールラウンダーとして、さらに理想を追い求めていく高木を、北京冬季五輪での濃密な経験が心と体の両面でひとまわり成長させた。