“鉄人”高木美帆が北京五輪13日間で7レース1万3200m滑り抜いた最後に金メダルがあった理由とは?
しかし、隔離が明けたデビット・ヘッドコーチが復帰した13日から状況が一変する。目の前に500mのレースが迫ったなかで、それまでのレースを映像越しにチェックしていた同コーチは、高木へ「もっと肩の力を抜いて滑ろう」とアドバイスした。 これが金言となって、高木を悩みから解き放った。 「長い距離だとどうしても頭のなかで考えて滑ってしまうんですけど、500mは何も考えずに行くだけなので。その刺激が身体のキレになって、その後につながったと思います」 団体パシュートで金、1500mで銀、1000mで銅を獲得した平昌五輪後は、特に500mの強化に時間を割いてきた。スプリント力を高めればトップスピードに到達するまでの時間を軽減でき、その分の体力を持久力に費やせるという計算があった。 果たして、最初の100mで勢いよく飛び出した13日の500mは、続く400mのラップでも出場選手中でトップタイをマーク。3度目の五輪で初挑戦した500mで手にした銀メダルが、4年間の取り組みを高木に鮮明に思い出させた。 迎えた1000mのスタート。号砲直前に抱いた思いを、高木はこう振り返る。 「スタートを決めることと、あとは行くだけだと集中力を高めました」 言葉通りに最初の200mを、出場30選手中でトップタイの17秒60で通過する。600mの通過タイムこそ2位に入ったレールダムの後塵を拝したが、それもわずか100分の1秒差だった。何よりも26秒88のラップタイムは、レールダムの26秒70に次ぐ2位。26秒台をマークした選手は、他には一人しかいなかった。 圧巻は全選手中で最速となる28秒71を記録した最後の400mだった。他に28秒台をマークしたのは一人だけ。レールダムも、そして世界記録保持者のボウもラップは29秒台で、前者は2秒66、後者は2秒37とそれぞれタイムを落としている。 対照的に高木のラップの落ち幅は1秒83に抑えられた。強化してきたスプリント力と持久力、スタミナが完璧なハーモニーを奏でた証と言っていい。高木が続ける。 「500mの結果があったからこそ、今日の1000mは『大丈夫、行ける』と思えました。1500mの後は団体パシュートと1000mを考えて、500mに強い気持ちで臨めるのかと自分に問いかけた時間もありましたけど、逃げずに挑戦してよかったと思っています」 デビット・ヘッドコーチと喜びを分かち合った場面以外にも、高木は歓喜のウイニングランを一時的に停止している。1500mで敗れた憧れのイレイン・ブスト(35、オランダ)と、そして10位だった小平に感謝の思いを捧げるためだった。 五輪連覇がかかった15日の団体パシュート決勝。最後の6周目、その最終コーナーで隊列の最後尾を滑っていた姉の菜那(29、日本電産サンキョー)が転倒。傷心のまま乗り込んだ選手村へ向かう帰りのバスで、高木は小平と居合わせた。 一糸乱れぬ美しい隊列とスピーディーな先頭交代を武器に、日本が団体パシュートを制した平昌五輪後の4年間で、プッシュ戦法や先頭交代なしなどの新たな戦術が台頭。結果として世界のレベルが上がったと指摘した小平は、さらにこう続けたという。 「あなたたちは誇っていいと思うよ」 短距離のスペシャリストとして、平昌五輪の500mを制した小平。強く、速いスケートを追い求めて、500mから3000mまでのオールラウンダーを志向した高木。タイプの異なる8歳違いのエースは、いつしか心を通じ合わせる関係になった。 「速く滑りたい、負けたくないという思いが湧きあがってくる選手がいることは、自分にとってもすごくプラスになるとずっと思ってきたので」