狙うべきは「意外な客層」、売上を2.5倍に伸ばしたディズニー・ジャパンの大胆な戦略転換とは
■ 戦略転換後のターゲットは「ディズニーに親近感を抱く層」 ──日本独自の客層とは、具体的にどのような人たちでしょうか。 中澤 東京ディズニーランドがオープンしたのは1983年4月ですから、当時ディズニーランドに初めて来園した子どもが仮に6歳だった場合、その方々は今頃40代後半になっています。当然、その次の世代も子どものころからディズニーに親しんでいますから、20代から50代くらいまでの日本の大人たちは、大多数が子ども時代にディズニーに接点があったと考えられます。 子ども時代に夢中になったけど大人になりディズニーから離れてしまった人々、結婚して子どもが生まれて再びディズニーを訪れた人々など、日本にはさまざまな「ディズニーに親近感を抱く層」が存在していると考えました。 こうした中でおとなディズニーを展開したところ、少子化と相まって日本独自の客層に訴求でき、売上を大幅に伸ばすことができたのです。 この戦略転換は、ディズニーのローカライゼーションの一つだったとも考えています。加えて、親が子どもに買い与える「ディズニーベビー」の商品群も追加することで、全年齢のディズニーファンとのタッチポイントを増やすことに成功し、「ゆりかごから墓場まで」ディズニーと親しんでもらう環境づくりにも成功しています。 ──新たな商品展開を進める一方で、対企業の取引では「勝ち組企業と組む」という取り組みを進めたそうですね。これは具体的にどのようなことでしょうか。 中澤 さまざまなコンテンツのライセンスを持つディズニーには、多くの企業からコラボレーションの依頼が寄せられます。しかし、当時は450社のライセンシー(ディズニーの許諾を得てそのライセンスを利用したビジネスをする企業)の約90%が売上高30億円未満の中小企業でした。 そこで、ライセンシーを上場企業やハイエンドブランドに絞り込み、ほぼ毎日のようにトップ営業を仕掛けました。ファッション、雑貨、食品、おもちゃ、文具、書籍などのジャンルに分けて、それぞれのトッププレーヤーである企業に対して「ディズニーのキャラクターデザインを各社の商品に落とし込んだ提案」を持参したのです。 ──各社とのコラボレーション提案を進めたのですね。どのような企業とのコラボが実現しましたか。 中澤 特に印象深いのは、年間数億本を売り上げるキリンの「午後の紅茶」とのコラボです。製品ボトルにディズニーの絵柄を載せてもらうキャンペーンを展開し、10~15種類の絵柄を用意しました。ディズニーファンの中には全部の絵柄を揃えようとする方もいますから、それまで以上に「午後の紅茶」を買ってもらうことができました。 こうして独自ブランドを持つライセンシーと組むことによってブランドとブランドの爆発的な相乗効果が生まれ、ライセンシーとディズニーの双方が収益増を実現しました。結果として、ディズニーのライセンス商品の売上は初めて5000億円を突破し、新たな収益軸を生み出すことができました。