野球界における「キャリア組」「ノンキャリア組」の大きな違いとは?【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第14回
■「持たざる者」でも、力強く生きていく方法 里崎 いやいや、間違いなく「ノンキャリア組」だから(笑)。今の僕を見ているからそう思うのかもしれないけど、10年前の僕を見たときに、今のこの姿を想像できたかというと、誰もできなかったと思うよ。 五十嵐 確かに、パ・リーグのみでプレーして、引退後に指導者を経験していない人で、テレビに引っ張りだこになっているのはサトさんぐらいしか思い浮かばない。 里崎 今だけじゃなくて、昔からずっとそうだったから。それに「キャッチャー枠」というのもあって、引退当時は野村克也さんがトップ中のトップにいて、古田敦也さん、谷繫元信さんが続いていて、僕の出る幕なんてほぼなかった。そうした状況の中で「どうすれば自分に出番がくるのか?」と考えたんです。でも、僕の場合は運がよかったのも大きいけど。 五十嵐 努力や戦略以外に、「運」の要素も大きかったんですか? 里崎 僕が引退した2014年にユニフォームを脱いだ選手の中で、名球会入りするような大物選手は稲葉篤紀さんぐらいだった。でも、稲葉さんは早々に『報道ステーション』の専属になったので、テレビ局に縛られずに自由に動けるのが僕ぐらいしかいなかったんです。ちなみに、僕と同じ日に、ヤンキースのデレク・ジーターも引退したけどね(笑)。 五十嵐 自分が引退した年に誰が一緒に辞めたかで、仕事の量も変わってくる。そんなことも確かにありますね。 里崎 そう。もしも引退が1年遅かったら、山本昌さんに全部仕事を持っていかれていたはず。そう考えるとやっぱり、「運がよかった」って思うよね。 五十嵐 そうか......。僕は自分と同じ時期に誰が引退したのかとか、誰に依頼が殺到するのかとか、そんなこと一度も考えたことがないな。 里崎 何度も何度も同じことを言うけど、それは亮太が「キャリア組」で、僕が「ノンキャリア組」だから(笑)。でも、きちんと自分で分もわきまえているんですよ。「ノンキャリア組」は、努力である程度のところまでいっても、それ以上は上にいけない。でも、その中でもできることはある。やれることはある。持たざる者でも何とかなる。そんな思いは強く持っているけどね。 ――さて、そろそろお時間となってしまいました。今回は「キャリア組」と「ノンキャリア組」という話題が白熱しました。次回も引き続き、盛り上がっていきましょう。 里崎・五十嵐 了解です。ではまた次回も、よろしくお願いします! (連載第15回に続く) 構成/長谷川晶一 撮影/熊谷 貫