「僕は間違ったのか」あふれるがん情報に踊らされ…余命宣告の母と息子 最後の2カ月間
■ 笑顔のがん経験者 「この人に話を聞きたい」
母が亡くなり少し落ち着いてくると、あることが気になり始めた。 ネットに溢れるがんの治療情報。 家族が、がんで余命を宣告されたのに、自分は何もできない。 無力の中で、怪しい情報に惑わされた。 「時間を無駄にしたのではないか…」 そんな後悔の気持ちはやがて危機感につながっていった。 「自分と同じような人をこれ以上、作りたくない」 私自身の馬鹿な経験を伝えることで、同じ轍を踏む人が出ないようにする、それがテレビディレクターである自分にできることだと思った。 そうして始めた、がんに関するリサーチ中にYouTubeでたまたま見つけたのが「がんノート」というチャンネルだった。 がん患者やサバイバーの方を招いてリアルな経験談などを語り合うトーク番組で、特に印象的だったのが、司会役の男性の表情だった。 いつも笑顔で話すその男性は岸田徹さん(36)。 経歴を調べると、彼はがんを二度経験して、生死の淵をさまよったことがある。 「自分ならこんなに活動的になれるだろうか」 がんを経験しても、明るく生活している人がいる。 身近な人ががんに罹患して、暗く沈んでしまった自分とは違う。 この人に話を聞いてみたい、そう思った。
■ がん摘出手術後の悩み 相談に乗ってくれたのは…
「僕自身はマジで?という感じで頭が真っ白になるというか自分のこと言われているの?と思いました」 インタビューに答えてくれた岸田徹さんは、自身が、がんを宣告された瞬間のことをそう振り返った。 大学を卒業後、IT関連の会社に就職したが、25歳のときに「胎児性がん」という希少がん(人口10万人あたり6例未満の“まれ”ながん)に罹患した。当時、医師から告げられた5年生存率は50%だった。 抗がん剤治療でがんを小さくし、手術によってがんの摘出に成功。 しかし、その2年半後、がんが再発する。今度は精巣だった。 病と闘う中で、岸田さんもやはり氾濫する情報に翻弄されたという。周囲の人に勧められた怪しいクリニックに行き、実際に治療を受け、お金も費やした。 「科学的根拠に基づかない医療によって僕も(被害を)受けた。そのまま突き進んでいたら今生きているのかなと(さえ思う)」 精巣がんでも手術でがんを摘出したが、射精障害を負ってしまった。 性に関する問題だけに、他人には相談しにくい。 思い悩んでいたある時、岸田さんは他のがん患者と交流する「患者会」の存在を知った。 同世代の患者たちの集まりに赴き、対面で直接自分の悩みを打ち明けると、誰もが親身になって相談に乗ってくれた。 「こんなに話してくれるの?」、そう思ったという。 「センシティブな問題について、患者たちが持つこうした情報を自分の中だけにとどめておくのはもったいない。みんなとシェア出来たら・・・」 そう思い岸田さんはYouTubeで「がんノート」を立ち上げた。 →がんノートの写真 はじめは廃校の図工室がスタジオでスタッフは岸田さんしかいなかった。 たった一人でスタートした「がんノート」は、闘病中の方やがんサバイバーの方でなければ語れない情報を発信することで注目を集め、いまやがん患者の出演者数が日本最多という情報発信番組になった。 がん患者の多くは「孤独」を抱えている。 治療や手術、そして変わっていく対人関係。 特に若い世代は周りにがんを経験している知人がいないため不安に感じるという。 「がん患者の方から『来週手術で不安なんです』というコメントを(番組に)頂いたりすると、ゲストやぼくたちが『一緒に頑張っていこうね』とか『応援しているからね』と励ますことができる」 がんノートを通して、患者らの孤独を癒すことができるのではないか。 “離れていてもそばにいる”、配信を通じてそう伝えていきたいと岸田さんは考えている