【自分らしく生きる】「自分は自分代表」小原ブラス「ロシア人としても日本人としても中途半端。だから自分らしくわがままに発言する」
1999年10月1日にスタートした「大手小町」が今年25周年を迎えました。年齢、性別、国籍などにとらわれず「自分らしく生きる」ためのヒントやエールを、「お悩み相談」や「コラム&エッセー」の執筆陣が寄せてくれました。 ◇ ◇ ◇ 相手に迷惑をかけたくない。その場の雰囲気を悪くしたくない。自分はこう思っているけれど、発言を控えて、押し黙っている人が多い。でも、どんなわがままな意見でも、声に出したほうがいいと思う。 例えば、「デブ」や「ハゲ」と言うのは、それによって傷つく人がいるから言ってはいけないとされる。でも、「そんなこと気にするほうがおかしい」という意見だってあるかもしれない。「なぜ傷つくのか」「なぜ言わないほうがいいのか」という理由を知ることにつながる。何も考えずに、なんとなく不適切だから「ダメ」としているケースが多くなっている。 「きれいですね」という言葉でさえ、言われたくないと思う人はいる。「きれいでいなければいけない」というプレッシャーとなったり、「きれい」と言われなかった他の人が傷つくかもしれないと気を回したりする。いつも一方だけが「きれい」と言われていれば、妬んだ友人との関係にひびが入る可能性だってある。 なぜダメなのか、という理解を深めるためには、それぞれの不平や不満をもっと口に出すことが大切だと思う。発言は、わがままでいい。 自分らしく生きるには、何かの代表にならないこと。多くの人が、会社の人として、日本人として、女性として、大人として……、だれかを代表してしまって、わがままな発言ができないでいる。僕は、ロシア人としても、日本人としても、社会人としても、どれも中途半端で実際は何も代表していない。自分は自分の代表だから、わがままに発言できる。 働いていれば会社員として、夫の前では妻として、子どもの前ではママとして、それぞれに適切な発言や振る舞いが求められるのは仕方ない。けれど、肩書や役割に縛られずわがままになれる“自分代表の時間”を作ることが大切だと思う。 ただ、自分らしく生きることは、孤独でもあり、何にも属せない不安感もある。もし、自分らしく生きられていないと感じていたら、それは、どこかで安心を買っている代償でもある。 リスクを背負って自分らしく生きるも、自分らしさの追求よりも安心感を優先して生きるも、その人が選んだ生き方だったらいいんじゃないかな。(タレント 小原ブラス)