【不定期対談】天竺鼠の川原と。クリープハイプ・尾崎世界観「表現をする上で 『お客さん』はどんな存在なのか?」(前編)
■「ファンあっての俺」は絶対ちゃう 尾崎 川原さんは、自分が好きなものをやっていく中で、その表現をどう磨いていったんですか? 川原 できる限り修正せずにやってきたつもりだけど、ずっとお客さんの前でやってると勝手に技術がついちゃうのよ。 最初はウケへんけど、一個何かを足したりしたらウケるようになる。それが積み重なって、「こうしたらウケる」が身についてしまったんよね。「いつの間にかウケようとしてるやん」って。だから俺は今、寄席の出番をゼロにしたのよ。お客さんの前で毎日ネタやってたら、わからんくなるから。 尾崎 そう考えたら、お客さんというのはやっぱり重要な存在ですよね。 川原 やっぱね......そうね。単独ライブでは「ウケなくてもいい」って思えるけど、コアなファンは俺がそう思ってることをわかって、それで笑ってまうねん。 「絶対ウケへんはずなのに、これも技術で笑かしたんか......?」ってさらにわからんくなったから、最終的に無観客無配信単独ライブをやったんよ。 そしたら、「俺はこれがやりたかったんや!」って思えたんよね。しっかり準備してネタをやってるのに誰も見られない。 さらに、この空間を引きで見たときに、これをまったく知らない人たちの存在とかも浮かんできて、楽しいなって。あれがライブの楽しさのピークで、その後にやった普通の単独は楽しくなかった。 尾崎 もうほとんど芸術家の感覚ですよね、それは。 川原 俺はたぶん、自分が本当に好きなことをやってたら、たくさんの人が笑う方向には行かないと思うんよね。 そう考えると、理想はどんどんお客さんがいなくなって、最終的にはたったひとりのお客さんにピンスポット当てて、真っ暗な舞台上で1時間コントしたい。それができて初めて「お客さんがいて良かったな」ってなるかもしれない。 尾崎 コアなお客さんは、きっとそういう部分もわかっていますよね。だからこそ緊張感がありそうです。常に自分の反応で川原さんがどう思うのかを探りながら(笑)。普通は、ファンって感謝されるのが当たり前じゃないですか。 川原 「俺あってこそのファンだからね」って、ファンにもよく言ってんねん。別にファンいらんとかじゃなくて、「ファンあってこその俺」は絶対ちゃうやん。 尾崎 自分は基本的に、お客さんがいなければやる意味はないと思っているんです。でも、その無観客無配信ライブというのはなぜかわかるなと思いました。 ただ誰もいないだけではないと思うし、逆にお客さんがいないことで感じることもあるはずですよね。結局、お客さんという存在がいないと、無観客無配信の価値もない。 川原 あぁ、確かになるほどね。 尾崎 「お客さんはそこにいるもの」という振りがあるからこそ。だから、つい身内に冷たくしてしまうような甘えがありながらも、お客さんを本当に大事な存在だと思っています。