ダウン症の娘とハワイ移住を決断した理由とは…アナウンサー長谷部真奈見さん(46)|STORY
外資証券会社勤務からキャスターへ転身し、現在はフリーアナウンサーをしながら会社経営など、輝かしい経歴をお持ちの長谷部さん。そんな彼女がお子さんを授かったのは、今から16年前のこと。初めは我が子にダウン症があるということを受け入れられず、死ぬことまで考えるほど悩んだ時期もあったそうですが、現在は娘のななさんとの生活をブログやSNSで積極的に発信し、ハワイでの子育てを楽しんでいます。今回はななさんを授かってからハワイ移住を考えるまでのお話を、一時帰国中の長谷部さんと娘のななさんに伺いました。 【写真あり】長谷部真奈見アナの仲良し家族写真 ■長谷部真奈見さんプロフィール 慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、 JPモルガン証券に入社。投資銀行部門にて、M&A(企業の合併・買収)のアドバイザリー業務に携わる。ニューヨーク本社にて勤務中、2001年「9.11世界同時多発テロ事件」に遭遇したことを機に日本へ帰国し、テレビ局へ転職。報道番組の記者兼キャスターを務め、現在はフリーアナウンサーとして活動を続けている。2024年6月末よりダウン症のある娘、ななさんとハワイに移住。
常に道から逸れないように生きてきた自分が、初めて道を見失った
私は弟が2人いることもあり、いわゆる典型的な長女タイプ。小さい頃から保守的で真面目だったし、常に目指すものが決まっていて、それに向かって一生懸命何事も頑張る性格でした。 結婚し、待望の第一子妊娠が分かったときも本当に嬉しくて、どんな風に子育てしようか、どんな習い事をさせようかなど、出産前からいろいろな想像を膨らませ、楽しみで仕方ありませんでした。それが、出産後に医師から娘にダウン症があることを告げられたときは、とにかくショックすぎて、妊娠前に戻りたい!とまで思っていました。 これからどうやって子育てをしていけばいいのか全く分からないし、ロールモデルも失い、初めてどこを目指せばいいのかが分からなくなりました。 ■「ダウン症候群」とは(引用元:公益財団法人日本ダウン症協会) 染色体の突然変異によって起こり、通常、21番目の染色体が1本多くなっていることから「21トリソミー」とも呼ばれます。この染色体の突然変異は誰にでも起こり得ますが、ダウン症のある子は胎内環境がよくないと流産しやすくなるので、生まれてきた赤ちゃんは淘汰という高いハードル乗り越える強い生命力をもった子なのです。ダウン症の特性として、筋肉の緊張度が低く、多くの場合、知的な発達に遅れがあります。発達の道筋は通常の場合とほぼ同じですが、全体的にゆっくり発達します。心疾患などを伴うことも多いのですが、医療や療育、教育が進み、最近ではほとんどの人が普通に学校生活や社会生活を送っています。600~800人に1人の割合で生まれる※とされています(※引用元:小児慢性特定疾病情報センター)。 はじめの3年くらいは娘のことが受け入れられず、目の前がずっと真っ暗闇でした。 常に他人の子供と比べたり、羨ましく思ったりして落ち込み、もう一生笑って暮らせる日は来ないんじゃないかと思っていて。すごく悩んで苦しんで、神様を恨んだりもしました。でも、比べることになんの意味もないことに気づいてからは、ちょっとずつ気持ちが楽になり、娘とも向き合えるようになっていきました。