発売から25年。椎名林檎『無罪モラトリアム』はなぜ衝撃と呼ばれたのか─亀田誠治が語る「ないがち」な革命
制作過程で生まれた「ないがち」という言葉
『無罪モラトリアム』の制作にあたり、椎名と亀田は「今までになかった音楽を作っていこう」と誓い合ったという。 亀田:僕たちの間で「ないがち」という言葉がそのとき生まれました。ありがち、「これ〇〇みたいでカッコいいよね」みたいに「〇〇みたいに」が絶対に付かないサウンドを作っていこうという決心を2人でして、とにかくアイデアを出し合って、好きなことや自分のやりたいことを全部をつぎ込んで。アレンジしていくとき、サウンドを作っていくときは何かを参考にはしないで、とにかく自分のやりたいように作っていきました。「林檎さん、来週までにこの曲のアレンジを僕が考えとくから、来週またスタジオに来てね」って言って別れて、1週間、僕は何も聴かないで自分のやりたいことをデモ制作に注ぎ込むわけ。それを林檎さんが聴いて、本当にいいときに「やった!」「ないがちだ!」って林檎さんが言って、「カッコいい!」ってキャーキャー叫びながら作っていきました。 亀田は椎名の脇を固めたメンバーの選び方についても振り返る。 亀田:よかったのは、ドラムのカースケさんだったりギターの西川さんだったり、斉藤ネコさんもその頃から手伝ってもらったかな。とにかくそのとき僕が知っているレコーディングメンバーやミュージシャンのベストメンバーっていうか、林檎さんの波長に合う人を第一に(選んで)。僕自身が人柄を含めて波長が合うっていうところで選ばれたので、これは林檎さんの音楽、そして林檎さん本人と波長が合わないと絶対にいいものが生まれないと思って、とにかく一緒に音を奏でるミュージシャンに関してめちゃくちゃこだわりました。その結果、スタジオでもキャーキャーワーワーしか起こらないんですよ。今でも覚えてるんだけど、カッコいいテイクが録れるとキャーって言って、エア神輿をかついで、やったやった、ワッショイワッショイ、「カッコいいテイク録れた!」って、みんなで大騒ぎするようなレコーディングを繰り返していました。