発売から25年。椎名林檎『無罪モラトリアム』はなぜ衝撃と呼ばれたのか─亀田誠治が語る「ないがち」な革命
「神が音楽の才能を与えた」を実感
椎名とアレンジャーとしての亀田。2人は1年間かけて、亀田のスタジオにこもって『無罪モラトリアム』の制作を進めていった。亀田が「本当にすごいと思った」と振り返るのは、『無罪モラトリアム』と、2枚目の『勝訴ストリップ』に収録されている楽曲のほとんどを、まだ10代だった椎名がすでに書き上げていたことだ。 亀田:カセットテープに自分の弾き語りだったり、ドラムマシーンと歌だけみたいなやつもありました。『丸ノ内サディスティック』は、ドラムマシーンとピアノで弾き語っているやつもあったりとか。アルバム2枚分の曲を、10代の少女が高校生くらいまでの間に書き上げてしまっている。歌詞もできていて、こんな天才がいるのかって。 当時、亀田は「世の中で言う早熟というか、『神が音楽の才能を与えた』っていうのは、こういうことなんだ」と感じたという。 亀田:そんな気持ちで、一緒に『無罪モラトリアム』のレコーディングに向けて、アレンジ作業というか曲を整えていくという作業を始めました。なので、曲作りをするというよりは、サウンドであったりとかどういうミュージシャン、どういう感じにしていこうかというイメージ作り、いわゆるサウンドデザインを2人でやっていったって感じです。そのときに決めたのは、まずできるだけミュージシャンを固定して、ドラムはカースケ(河村智康)さんだったりギターの西川(進)さんだったり、あとはベースは僕だったり、とにかくバンドのようにミュージシャンを固定して、最高の音を作り上げていこうと一致団結しました。結果的に3つになったんだけど、3つのバンド編成で『無罪モラトリアム』は作られました。 アルバムタイトルになった『無罪モラトリアム』について亀田はこう話す。 亀田:そもそも漢字+全然つながりのない不条理なカタカナが付くってスタイルも林檎さんが初めてっていうことだと思うんですけど、(演奏バンド名となった)絶倫ヘクトパスカル……意味わからないもんね(笑)。絶叫ソルフェージュ、意味わからない。桃色スパナ、意味わからないでしょ。こういう意味わからないところに喜びを感じるメンバーが集まって、意気投合して作られていったアルバムです。