もうこの人たちには任せておけない…人類学を救うために立ち上がった男の「切実なアンチテーゼ」
「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 【画像】なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
「あなたがた、それでいいんですか?」
人間は単一的で直進的な進化の家庭にあるとする進化主義的な説を唱えた19世紀の人類学者たちに対して、「あなたたちはぬくぬくとした部屋で資料を読み漁り、頭の中でしか人間を知ろうとしていない。それでは本当の『生』の理解には辿り着かない。研究室を飛び出し、人間にまみれてこそ研究を深めるべきだ」と不満を覚える若い人類学者たちが現れました。彼ら20世紀の人類学者たちは、フィールドワークに基づく新しい人類学を推進していったのです。上の世代に対してこのままではいけないと危機感を募らせる若者が、自分たちの熱意によって世界を切り拓く。それはどの時代や分野にでも起きることなのでしょう。 そして、その立役者こそが前出のマリノフスキでした。彼が構想した人類学は、人間の「実際の生」(actual life)を直に観察し、生の全体性を描き上げようとするものだったのです。マリノフスキに関しては『はじめての人類学』2章に譲り、ここでは前段階として20世紀前半の人類学に大きな影響を及ぼしたデュルケーム社会学に触れておきたいと思います。ポイントは、「集合表象」と「機能」という考え方です。このデュルケーム学説は、次章以降の布石にもなります。 エミール・デュルケームは、『社会学的方法の規準』(1895年)の中で、そもそも社会学が研究対象にすべきなのは、個人の性質、選択、選好を超えたところにある「社会的事実」だと断じます。その上で、集団の中で個人を拘束するものを「集合表象」と呼び、社会学的分析の中心に位置づけました。 たとえば、ある集団の人たちが太陽を神として崇めるのは、その社会で「太陽は神だ」という価値観が共有されているからです。彼らは個人という存在を飛び越え、その価値観を受け入れています。つまり、彼らは集団の中に共有されている「集合表象」に従っているのです。