21世紀版大陸移動説(上) 生前に研究が認められなかったウェゲナーの悲劇
その2:生存時と死後30年にわたる酷評
生存時ウェゲナーは「天文学者」としては、なかなかの名声を得ていた。同じく天文学者だった義父や兄の影響もあったはずだ。しかし、一方、現在における輝かしい名声と脚光とは裏腹に、地質学者としての評価は、生きている間ほとんど得ることがなかった。まるでその生存時、人々はほとんどゴッホの絵画作品に見向きもしなかったように。遺伝学の祖メンデル牧師の研究はその死後35年以上の間、ほとんど無視され続けてきたように。先見の明にすぎる業績が時々たどる数奇な運命。 「おい、アルフレッド。大陸の移動などそんな馬鹿げた妄想の研究などせず、グリーンランドの気象データを早く発表しろよ」。周囲の同僚や友人は彼に何度もこのような忠告をしたようだ。どうしてウェゲナーは執拗なまでに、この(専門外の)「大陸移動説」にこだわったのだろうか? ウェゲナーは1930年、50歳のときに運悪く悪天候に見舞われ、グリーンランドで亡くなっている。3回目の研究調査の時だった。この事実はなんとも皮肉だ。というのもこの3回目の時において、ウェゲナーは初めて自身の大陸移動説のための調査を行う費用を手に入れていたからだ。長年の鬱憤を晴らすべく、ようやく岩石や化石のサンプルを探すことができた。(最初の2回は気象学やデンマーク隊との提供で地図作りを手伝った)。もしウェゲナーが、あと20~30年くらい生き永らえることができれば、大陸移動説の元祖として栄誉を、直接肌で感じ取ることができたからだ。この最期は悲劇的でさえある。 ウェゲナーの学説が受けた酷評―そして多くの場合は無視だった―は、その死後20~30年にも及んだ。その主な理由は二つあったようだ。第一に1900年代前半まで「大陸の位置や海洋の輪郭など変わるわけがない」という、いわゆる「Permanentism」(=「永久大陸止まり説」の意)という盲信にも似た強い迷信のせいだ。1950年代くらいにいたるまで、この(今からみると奇妙な)アイデアは、地質学の教科書にも載っていたらしい。こうした伝統上な概念を、根底からひっくり返すのは容易ではないということか。ダーウィンやガリレオの科学的セオリーがたどった道が思い出される。 第二の理由は、化石や岩石などにおけるたくさんの証拠やデータを提出していたウェゲナーだが(そのために今日クレジットを得ている)、肝心のメカニズムについてその仮説に大きな弱点があった。「おい、ウェゲナー。大陸が動くというのなら、その理由は何だ?」。返す言葉が残念ながらなかったのだ。 しかし20世紀の中頃になると、ウェゲナーの大陸移動仮説を裏付けるたくさんの証拠やデータが、たっぷりと水を貯えたダムのようにふくらんだ。もはや大陸は何億年もの地球の歴史上、永遠にその場に止まり続けることなど、とても無理だというレベルにまで達した。ダムの堰をはずす機は熟した。その詳細はパート2で改めて述べさせていただく。