21世紀版大陸移動説(上) 生前に研究が認められなかったウェゲナーの悲劇
その1:ウェゲナーの生涯
ウェゲナーは1880年ドイツのベルリンで生をうけた。父親は牧師で、5人兄弟姉妹の末っ子として育った。よく知られている事実だが、ウェゲナーの本職・専門は地質学ではなかった。気象や気候が彼の専門分野で、名門ベルリン大学で1905年24歳の時に博士号を終えた。彼の義父(妻の父親)は有名な気象学者で、ウェゲナーをいろいろ手助けし助言を与えたことも知られている。実の兄も気象学に携わっていた。 かなり研究熱心な一面を若いときから持ち合わせていたようだ。博士号課程を終える少し前ころから、大きな風船を使って大気のデータをサンプルする技術を考案している。兄と気球を使った飛行にも挑んでいる。52時間半という当時の気球最長飛行時間を記録している事実からすると、かなり凝り性で情熱的冒険好きな気性をもっていたようだ。(科学者として悪くない資質だ。) 1906年に最初の研究調査旅行を皮切りに、その生涯、3度、グリーンランドに出かけている。大きな風船のような装置を使って大気などのデータを採取するウェゲナーの写真が幾つか残っている。かなり研究熱心な趣と穏やかな性格を合わせもつたたずまいを感じさせる。The Environment & Society Portalのサイトで閲覧できるウェゲナーのグリーンランド調査中の貴重な日記と写真の数々(そしてビデオ!)は必見の価値あり。
さて1910年、ウェゲナーが30歳のころ、大陸移動というアイデアをはじめてもったそうだ。そして1912年、非常に短い論文においてこのアイデアを初めて公に発表した。しかしすぐに一連の研究活動をストップする必要に迫られる。1914-1918年の間、第一次世界大戦に従事したためだ。大戦から戻るとすぐその翌年(1919年)、主著「大陸と海洋の起源」(第1版)を発表した。 その後、1930年(生存時最後の年)に第5版に至るまで、大陸移動の「仮説」における推敲と新たなデータを整える作業を、こつこつと繰り返した。その歩みはとどまることがなかったようだ。そして(後述するように)そのプロセスは困難を極めた。どうして気象学を専門とするウェゲナーが、足掛け20年、そのキャリアの大半の期間を、専門外である「大陸移動説」の研究に従事したのだろうか? 今となっては直接彼に尋ねてみるしか確かめようがない。