1980年代のバス革新期にタイムトリップ!! それは貸切バスのスケルトンタイプ改造が始まった頃だった!!
交通ジャーナリストである筆者の鈴木文彦氏が、約50年に及ぶ取材活動の中で撮影してきたアーカイブ写真。ここから見えてくる日本のバス史を紐解くこの企画。今回は貸切バス車両のスケルトンタイプ改造が始まった時期をご紹介する。 【画像ギャラリー】「なんちゃってスケルトン」が登場し始めた1980年代!!涙ぐましい改造を施したスケルトン風モノコックバス(8枚) 1980年代は、バスのボディスタイルがモノコック構造からスケルトンタイプへと大きく変貌を遂げた時期であった。 それ自体は路線バス、貸切バスともに同じ動きだったのだが、貸切バスはよりその影響を大きく受けた。外観の大きな違いは、観光地で多数の貸切バスが並んだ時や台数運行で混在したとき、乗客からするとモノコックボディはいかにも古く見えてしまう。 そこで、まだ年式の新しいモノコックボディのバスを"スケルトンに見せる"改造が行われた。 (記事の内容は、2024年1月現在のものです) 執筆・写真/鈴木文彦(交通ジャーナリスト) ※2024年1月発売《バスマガジンvol.123》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■原形をとどめないほどの大改造も
【写真1】を見ていただこう。高知県交通(現とさでん交通)が定期観光バスとして使用していたバスを1991年に撮影したものである。11.5mクラスなので一見すると日野車体のスケルトンバス第2世代の日野RU637(607)BBである。 ところがじっくり見ると、似て非なるところがいくつも見つかる。実はこのバス、フロントの前構とドアを付け替え、側窓をピラーレスの連続窓に改造し、側板も1枚の鉄板を張り付ける形の大改造を施したもので、元の車両は富士重工ボディの日産ディーゼルK-RA51Rなのである。 【写真2】は同じ車両を後部から見たものであるが、こうして見ると富士重工の日産ディーゼルの面影が残っていることが見て取れる。 同様に、すっかり元の種車の面影が消えた事例が【写真3】の岩手観光バスの車両である。岩手観光バスはのちに岩手県交通と統合される、当時国際興業グループの貸切バス事業者であるから、いすゞのバスであろうことは想像がつくが、この外観からいすゞ車を想像することは難しい。 フロントの見た目は呉羽ボディのサンシャインデッカーとほぼ同じで、ドア後の接合部に多少違和感はあるものの、側窓も連続半固定窓であるし、おそらく観光地で呉羽や三菱のハイデッカーと並んだら溶け込んでいただろう。 このバスはもともと川崎ボディのハイデッカーI型ボディを架装したいすゞK-CRA650で、やはり後部から見ると種車の面影が残っている。 【写真4】は同じ国際興業グループの十和田観光電鉄が、いすゞハイデッカーI型をベースに前構・側窓ともに改造しものだが、前構に同じ川崎ボディのハイデッカーV型のものを採用しているので、接合部の処理を別とすればハイデッカーV型と並んで違和感はない。