1980年代のバス革新期にタイムトリップ!! それは貸切バスのスケルトンタイプ改造が始まった頃だった!!
■少しでも新しいバスに見せるために
当時貸切バスは需要も上向きで、収益を上げられる事業であった。そんな中で"バスが古い"(古く見える)というのは致命的なマイナスであった。 大都市圏など資金力のある事業者は、この時期にバスの代替を早め、スケルトンタイプの新車に置き換えて行ったが、地方の事業者が一気に新車に置き換えて行くことはなかなか難しかった。 そこで採られた手法がこのモノコックボディの車両を改造してスケルトンタイプの新車に遜色ない車両に仕立てることだった。 種車に選ばれたのは当時で車齢の低い、モノコックボディの最終期のもので、当然改造にもそれなりのコストがかかるので、それほど多くの台数を改造したわけではない。また、地域的にも北海道、東北、四国、九州、沖縄に目立った手法である。 冒頭の3事例のような全面的な改造だけではなく、部分的な改造も数多く行われた。ひとつはフロントだけをスケルトンタイプに見せる改造である。 こうした改造は、現在でも一定のエリアでバスの改造や事故車の修理などを行っているバス専門の工場が行うことが多かったが、前構はメーカーから取り寄せて施工したため、種車に関わらず日野車体、呉羽自工、西日本車体のフロントスタイルが多用された。 【写真5】は富士重工のパノラマデッカーの前部を改造し、呉羽タイプのフロントを装着したものである。同様の改造は写真の道南バスのほか、道北バスなどでも行われ、種車も富士重工ボディのほか日野車体のパノラマデッカーやセミデッカーも改造された。 使用した前構はハイデッカーのもので、種車がパノラマデッカー・セミデッカーのため車高と断面形状に違いがあることにより、接合部には不自然な段差がついていた。最前部の側窓も原型は一段下がっていたが、改造時に上に上げて成型している。 同様の改造を西日本車体のS型ハイデッカーとほぼ同じ前構を使用して施工したのが【写真6】(画像ギャラリー参照)である。こちらは種車が富士重工のフルデッカーR1型なので、屋根の高さは揃っているが、ドア周りや最前部側窓の処理に改造の名残が見える。写真の昭和自動車のほか、サンデン交通などにも見られた。 沖縄では日野車体の前構を使用した改造車が見られた。【写真7】(画像ギャラリー参照)はいわゆる「730」の際に貸切バスとして導入された那覇交通のいすゞハイデッカーI型をベースに前部を日野車体の面に付け替えたもので、比較的上手に処理されている。同様の改造を日野車体のセミデッカーに施したものが東陽バスにも存在した。 いすゞハイデッカーII型はフロントガラスがもともと大きく、前部の見立てはスケルトンタイプのハイデッカーと遜色がなかったせいか、【写真8】(画像ギャラリー参照)のように側窓だけをピラーレスの半固定(T字型)に改造した事例が南部バス、十和田観光電鉄などに見られた。 いずれも過渡期の異端車ではあったが、希少価値があったゆえに、車両趣味的には面白い車両たちであった。