イギリス首相になくなった?「解散権」を憲法の視点で考える
「解散権」をどう考えるか
さて、どのように考えるべきだろうか。まず解散権の根拠については通説と実務上、定着している7条3項説を前提とせざるを得ないだろう。その上で、自由な解散権を認めるべきかどうか。 この問題の難しさの一つは、解散のもつ意義にはさまざまなものがあるということである。 大まかにいうだけでも、解散権は議会制度の母国イギリスでは、もともと議会に対する国王の大権だったわけだが、議院内閣制の発達に伴って、内閣と議会との均衡を図る手段となり、さらに普通選挙制度の導入以降は、内閣と議会との対立を国民が裁定するという民主的な意義付けもされるようになった。そして、民主的な意義付けからすれば、仮に党利党略に基づく解散が行われたとしても、結局は国民の審判を仰ぐことになるので、解散・総選挙は民主的であって望ましいことであるともいえる。 しかし他方で、頻繁な選挙(日本の総選挙は平均して2年半に1度行われており、参院選も含めれば国政選挙間の間隔はもっと短い)は政治の安定性を失わせ、あるいは党利党略による解散総選挙では民意が公正に反映されないのではないかという点も考慮する必要がある。 次に、解散権を制限する場合、内閣と衆議院との間の関係性にどのような影響を及ぼすのか考える必要がある。解散権の1つの機能として、解散(の脅し)によってむしろ多数派(与党議員)の結束を促すというものがある。変則的ではあるものの、2005年の郵政解散は、衆議院の解散によって与党の参議院議員の造反防止を図ったものであった。解散権が制限された場合、例えば、このような意味で内閣の立場が弱まる可能性があることをどう考えるべきかといった問題があろう。イギリスの議会任期固定法の制定の際にも、こうした懸念の声があったという。 また、解散権を制限するとして、制限をどのような内容にするかという問題もある。不信任決議の可決の場合は解散が可能だというのは諸国に共通するが、そうした場合に限定するのか(日本の「69条限定説」はこうした立場である)、イギリスのように、与党の都合だけでは解散ができないよう、議会に3分2以上の賛成という特別多数を要求した上で自主解散を認めるのか、フランスなどのように、一定の期間(総選挙後1年間は不可、など)は解散できないとだけするのか、などである。 なお、次の実効性の点とも関連するが、不信任決議があった場合に限って解散を認めるとしても、馴れ合いで不信任決議を可決するという抜け道もある(1948年10月の衆議院解散「馴れ合い解散」はそのようなものであった)。