小説を読む「趣味」は「生産的」ではない? 資本主義社会の「呪い」を解毒する壮大なエンターテインメント
「読む」とは何か。小説の存在意義とは。 鬼才・野﨑まどさんによる4年ぶりの最新長編『小説』には、その答えがすべて詰まっている――。 【画像】なぜ小説を読むのか大胆に問いかける衝撃作 今回は『小説』の魅力を、書評家のあわいゆきさんに紹介していただきました。 野﨑まど『小説』 五歳で読んだ『走れメロス』をきっかけに、内海集司の人生は小説にささげられることになった。 一二歳になると、内海集司は小説の魅力を共有できる生涯の友・外崎真と出会い、二人は小説家が住んでいるというモジャ屋敷に潜り込む。 そこでは好きなだけ本を読んでいても怒られることはなく、小説家・髭先生は二人の小説世界をさらに豊かにしていく。 しかし、その屋敷にはある秘密があった。
小説作家・野﨑まどの魅力とは?
野﨑まど。彼ほど、小説でしか体験できない景色に連れていってくれる小説家はそうそういない。たとえばデビュー作の『[映]アムリタ』では理解の範疇を超える脚本を通じて「創作」の本質に迫り、『know』は人智を超えた知る営みを通して「死」を描き切った。SFやファンタジー、あるいはミステリのようなジャンルでカテゴライズできる設定こそ取り入れつつも、決してそれらは映像や漫画のような異なるフィクションでも代用できるものにはならない。すべては小説だから到達できる描写につながっていく――小説家・野﨑まどの真髄は、作中に散りばめられたあらゆる要素が一点に集約していき、「小説」としか呼べないジャンルに辿り着くところにある。 ミステリ作家やSF作家ならぬ、〈小説作家〉。それが野﨑まどだ。 だから、最新作のタイトルが『小説』と知ったときは、否が応でも期待が高まった。野﨑まど作品に底通する魅力の源泉が明らかになるのではないか、と。 本作の主人公である内海集司は、五歳のときに『走れメロス』を読んで以来、小説の魅力に囚われた。小学生になると小説の話を共有できて親友となっていく外﨑真と出会い、二人は小学校の裏にある、小説家が住んでいると噂の「モジャ屋敷」に潜入する。そこに住んでいた髭の先生から蔵書を好きなときに読んでもいいと言われ、二人は豊かな読書生活を送っていくが――やがて、別々の道を歩みはじめる。「小説家」として才能の片鱗をみせる外﨑とは異なり、内海は小説をひたすら読んでいたい人間だった。 内海の半生をたどっていく物語でありつつも、行をあけずに三人称多元視点を採用している、いわば神のような視座から語られていくところに独特のドライブ感がある。芥川龍之介からはじまり、主役の内海に移ったかと思えば次の段落では内海の父親の来歴を語り、ときには一気に138億年を遡り宇宙の起源を語りすらする。縦横無尽に視点が動き回るたびに作中で輝きを放つ人間の数は増え、小説はより複雑に、面白さを増す――個人を描くのみならず、世界あるいは宇宙の全体をつくりあげようとする大胆なスケールは、私たち読者も「小説」の内側に取り込み、夢中にさせていく。